今週のみことば
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6月4日

「まず次のことを知るべきである
終わりの時にあざける者たちが
あざけりながら出てきて
自分の欲情のままに生活し
『主の来臨の約束はどうなったのか
先祖たちが眠りについてから
すべてのものは
天地創造の初めからそのままであって
変わってはいない』と言うであろう」
(ペテロの第二の手紙3章3-4節)

キリストの言葉を信じないで「あざける者」は
キリストご再臨の約束が
なかなか実現しないことについて
このようにあざけるのですが
彼らは聖書の言葉を認めないので
現在の地上が
天地創造の時と同じだと思っています

「古い昔に天が存在し
地は神の言によって、水がもとになり
また、水によって成ったのであるが
その時の世界は、御言により
水でおおわれて滅んでしまった」(6‐7節)


ここは
創世記1章に記された天地創造の様子と
その時できた地が
ノアの時代に
洪水で滅んだことを示しています
そして、現在の天と地は
やがて火で滅ぼされるために
不信心な者たちが滅ぼされる日まで
そのままにされていることが聖書には記されていても
信じない人にとっては
それはあざけりの対象となっているのです

しかし
ご再臨の時が遅いと人は思っても
すべては神の御心のままになされることなので
約束が遅れているわけではありません
「ただ、ひとりも滅びることがなく
すべての者が悔い改めに至ることを望み
あなたがたに対して
ながく忍耐しておられるのである」(9節)


”すべての人が救われるように”
それが神の御心です
そして、今も
「その時」をわたしたちは待っています

「愛する者たちよ、それだから
この日を待っているあなたがたは
しみもなくきずもなく、安らかな心で
神のみまえに出られるように励みなさい」
(14節)


”しみもなくきずもなく、安らかな心で”
つまり、神の約束を疑わないで
今現在自分になされていることも
それはすべて
神のご計画のうちになされていることと受け入れること
時が遅いとか、それはおかしいとか
心に不信感が募ると
平安ではいられなくなります

信仰には
「神を疑わず信じる」という基本があります
人生には思うようにいかないことが色々あり
病気になったり
辛い目にあったりすることもあるでしょう
それでも神のなさることはすべて意味があり
それを受け入れていくことが幸いなのだと
信じることができるでしょうか

教会での礼拝は
聖書を通して
自分の信仰を省みる機会となります
長い間には信仰も自己流となり
いつの間にか自分の勢いで動くようになって
信仰の基本から外れていくことに
人はなかなか気づかないので
礼拝を信仰の修正の機会とし
”しみもなくきずもなく、安らかな心で”過ごすため
神に立ち帰るようにするのです

「また、わたしたちの主の寛容は
救いのためであると思いなさい
このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが
彼に与えられた知恵によって
あなたがたに書きおくったとおりである
彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている
その手紙の中には、ところどころ
わかりにくい箇所もあって
無学で心の定まらない者たちは
ほかの聖書についてもしているように
無理な解釈をほどこして
自分の滅亡を招いている」(15‐16節)


新約聖書には
パウロの書いた書簡がたくさんあります
それらはみな
「キリストの救い」について述べていますが
その内容は分かりにくいところもあるため
自分勝手な解釈をして
滅びを招いている人もあります

このように
聖書の書簡は
神の知恵によって書かれたものであり
その意味を知るには
神はどういう方であるかを知る必要があります

この神は天地創造の神であり全能の神
その御旨を人は知らず
その御心を量り知ることもできません
そのため
人間の都合で考えれば疑問に思うことでも
すべては神の御旨のまま進み
時も、事の成り行きも
すべては神が決められること
そして
そうなることが幸いなことと信じるところに
平安があるのです

このような信仰感についても
惑わす人が現れてくるかもしれませんが
確信を失うことがないように心がけ
キリストの恵みと知識において成長するように
と勧めて
ペテロの手紙は終わっています

「天が下のすべての事には季節があり
すべてのわざには時がある
生まるるに時があり、死ぬるに時があり
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり
殺すに時があり、いやすに時があり
こわすに時があり、建てるに時があり
泣くに時があり、笑うに時があり
悲しむに時があり、踊るに時があり
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり
さがすに時があり、失うに時があり
保つに時があり、捨てるに時があり
裂くに時があり、縫うに時があり
黙るに時があり、語るに時があり
愛するに時があり、憎むに時があり
戦うに時があり、和らぐに時がある
働く者はその労することにより、なんの益を得るか
わたしは神が人の子らに与えて
ほねおらせられる仕事を見た
神のなされることは皆
その時にかなって美しい

神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた
それでもなお
人は神のなされるわざを
初めから終わりまで見きわめることはできない

(伝道の書3章1‐11節)



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