今週のみことば


6月11日

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「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの
目で見たもの、よく見て手でさわったもの
すなわち、いのちの言について――
このいのちが現れたので
この永遠のいのちをわたしたちは見て
そのあかしをし、かつ
あなたがたに告げ知らせるのである
この永遠のいのちは、父と共にいましたが
今やわたしたちに現れたものである――
すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを
あなたがたにも告げ知らせる
それは、あなたがたも
わたしたちの交わりにあずかるようになるためである
わたしたちの交わりとは
父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである」
(ヨハネの第一の手紙1章1‐3節)

ここに記された「いのち」とは
主イエス・キリストのことを表しています
十二弟子の一人として
イエスと共に生活してきたヨハネは
この「いのち」がどのような方であるかを
自分の目をもって見て
自分の耳で「いのちの言葉」聞き
常にこの「永遠のいのち」との交わりを持っていました
そして、ヨハネは
自分が実際に見聞きした「いのち」について
わたしたちに告げ知らせるべく
この手紙を記しているのです

「わたしたちがイエスから聞いて
あなたがたに伝えるおとずれは、こうである
神は光であって
神には少しの暗いところもない
神と交わりをしていると言いながら
もし、やみの中を歩いているなら
わたしたちは偽っているのであって
真理を行っているのではない
しかし、神が光の中にいますように
わたしたちも光の中を歩くならば
わたしたちは互いに交わりを持ち
そして、御子イエスの血が
すべての罪からわたしたちを清めるのである」(5‐7節)


ヨハネは
「神=光」ということについて
『ヨハネによる福音書』の冒頭でも触れていて
ここを読む時に
「天地創造の父なる神=イエス・キリスト」であることが
明らかとなるのです

「初めに言(ことば)があった
言は神と共にあった
言は神であった
この言は初めに神と共にあった
すべてのものは、これによってできた
できたもののうち
一つとしてこれによらないものはなかった
この言に命があった
そしてこの命は人の光であった」
(ヨハネによる福音書1章1‐4節)


創世記の1章によると
天地創造は
神の『光あれ』という言葉から始まりました
そして、この世のすべてのものは
神の言葉によってできたのです

「すべての人を照らすまことの光があって
世にきた
彼は世にいた
そして、世は彼によってできたのであるが
世は彼を知らずにいた」(9‐10節)


神の言葉には命があり
この命は、「まことの光」としてこの世に来ました
この方は天地創造の神でありながら
世はこの方のことを何者か知らなかったのです

「そして言は肉体となり
わたしたちのうちに宿った
わたしたちはその栄光を見た
それは父のひとり子としての栄光であって
めぐみとまこととに満ちていた」(14節)


「天地創造の父なる神」=「言葉」=「いのち」=「まことの光」
そして
「言葉」は「肉体」を持ち
「御子イエス」としてこの世に来られたのです

「神を見た者はまだひとりもいない
ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが
神をあらわしたのである」(18節)


このように
天地創造の唯一の神は
その姿を
肉体を持った「御子イエス」としてあらわし
ヨハネもその姿を見た人の一人となったのでした

ヨハネは
「いのちの言葉」について伝えるにあたって
神は光であり
わたしたちもその光の中を歩むように
主イエスの名によるバプテスマを受けて
イエスの血による清め(救い)にあずかることを勧めています

また
神は光であり
闇が全くない方なので
わたしたちも神との交わりを持つと言いながら
闇の中を歩くようなことをしていてはいけません

人は弱いので
その人生に失敗はつきものですが
その時、悔い改めて神に立ち帰るなら
正しい道を教えられて
光の中を歩むことができるようになります

神の言葉がわたしたちの内にあり
それがわたしたちの行いに現れてくるように
まずは自分の心と向き合い
暗闇の迷いから出て
光の道を求めていきましょう



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