今週のみことば


6月18日

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「わたしの子たちよ
これらのことを書きおくるのは
あなたがたが罪を犯さないようになるためである
もし、罪を犯す者があれば
父のみもとには
わたしたちのために助け主
すなわち、義なるイエス・キリストがおられる
彼は、わたしたちの罪のための
あがないの供え物である
ただ、わたしたちの罪のためばかりでなく
全世界の罪のためである」
(ヨハネの第一の手紙2章1‐3節)

すべての人は「欲」と無縁ではなく
それに伴う感情のコントロールも難しいため
罪を犯す可能性は常にあります
この人間の「弱さ」を救うべく
「あがないの供え物」となって下さった主イエスの名による救いは
一部の人のためではなく
全世界の人のために与えられたものでした

そして、その救いにあずかったものは
「弱さ」を持ちながら生きる人間のために
「助け主」として来られた方のことを愛し(信頼し)
「彼の戒め(神の掟)」を守らなければなりません

「もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば
それによって彼を知っていることを悟るのである
『彼を知っている』と言いながら
その戒めを守らない者は
偽り者であって
真理はその人のうちにない
しかし、彼の御言を守る者があれば
その人のうちに
神の愛が真に全うされるのである
それによって
わたしたちが彼にあることを知るのである
『彼におる』と言う者は
彼が歩かれたように
その人自身も歩くべきである」(3‐5節)


クリスチャンは
主イエスの名による洗礼と聖霊による救いを受けることで
「キリストのもの」となりました
そのため自分では
『彼(キリスト)を知っている』と自負していても
もしその戒めを守らないなら「偽り者」となり
一方、戒めを守る者があれば
その人の心が正しい行いとして現れてくる
つまり、キリストの言葉を守る時
その人の内には神の愛が実現しているからです
だからこそ
『キリストを知っている』『神の内にいつもいる』という人は
キリストが歩まれた姿を見本として
自らも歩まなくてはなりません

「愛する者たちよ
わたしがあなたがたに書きおくるのは
新しい戒めではなく
あなたがたが初めから受けていた古い戒めである
その古い戒めとは
あなたがたがすでに聞いた御言である
しかし、新しい戒めをあなたがたに書きおくるのである
そして、それは
彼にとってもあなたがたにとっても
真理なのである
なぜなら、やみは過ぎ去り
まことの光がすでに輝いているからである」(7‐8節)


こうしてヨハネが書いているのは
「新しい戒め(おきて)」ではありません
当時の人々が昔から聞いていた「古い戒め(おきて)」
すなわち「モーセの十戒」のような道徳的戒律は
キリストの出現によって無効になったのではなく
「新しい戒め(おきて)」として引き継がれました

かつて「古いおきて」の時代には
その「おきて」を完全に守ることが課せられましたが
人はその弱さのために
完全に守ることはできませんでした
そのため、罪の許しのために
いつも燔祭をささげなくてはならなかったのです

しかし、「まことの光」であるキリストが出現し
全人類の救いのために十字架にかかり
罪の贖いを終えてくださった今
人はその名による救いにあずかった後は
同じ内容の「おきて」を
キリストの心(愛)に習うことで守っていくように
「新しい戒め」として与えられたのでした

ですから
やみはすでに過ぎ去り
まことの光が輝いている現在
クリスチャンは「光の中にいる者」として
悪しき者の惑わしに
打ち勝っていかなくてはならない
それが信仰生活の課題です

「世と世にあるものとを、愛してはいけない
もし、世を愛する者があれば
父の愛は彼のうちにない
すべて世にあるもの、すなわち
肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは
父から出たものではなく
世から出たものである
世と世の欲とは過ぎ去る
しかし、神の御旨を行う者は
永遠にながらえる」(15‐17節)


この世に生きている限り
わたしたちはこの世にあるものを使って生活しています
神は人に必要なものをすべてご存じで
それらを求めて祈る者に
聞きこたえてくださる方ですが
「この世を愛する者」は
神を愛することがなく
自分の情欲と誇りに執着し
ねたみや憎しみといった悪い感情にまとわれて
自ら闇の中へと誘われていくのです

また、ヨハネは
「終わりの時」である今
「反キリスト」が現れてくることも記していますが
聖なる者に「油(聖霊)」を注がれている者は
「偽物」を見分けることができます
実際にヨハネの周りにも
信仰を捨てて去って行った人々がいました
彼らは元々ヨハネの「仲間」ではなかったからです

「しかし、あなたがたは
聖なる者に油を注がれているので
あなたがたすべてが、その事を知っている
わたしが書きおくったのは
あなたがたが真理を知らないからではなく
それを知っているからであり
また、すべての偽りは
真理から出るものではないことを
知っているからである
偽り者とは、だれであるか
イエスのキリストであることを否定する者ではないか
父と御子とを否定する者は
反キリストである」(20‐22節)


「そこで、子たちよ
キリストのうちにとどまっていなさい
それは、彼が現れる時
確信を持ち
その来臨に際して
みまえに恥じ入ることがないためである
彼の義なるかたであることがわかれば
義を行う者は
みな彼から生まれたものであることを
知るであろう」(28‐29節)


「神の言葉」が自分の内にある時
わたしたちは
悪いもの(欲や悪感情)に打ち勝つことができます
ですから、どんな時も
クリスチャンは「イエスにある」ことを忘れず
すべてのことに勝利する歩みができるように
主イエスの歩みを模範として
常につながりを保って行くことが大切なのです

「わたしがあなたがたにしたとおりに
あなたがたもするように
わたしは手本を示したのだ」
(ヨハネによる福音書13章15節)

「わたしにつながっていなさい
そうすれば、わたしはあなたとつながっていよう
枝がぶどうの木につながっていなければ
自分だけでは実を結ぶことができないように
あなたがたもわたしにつながっていなければ
実を結ぶことができない」
(ヨハネによる福音書15章4節)




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