今週のみことば


7月9日

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「すべてイエスのキリストであることを信じる者は
神から生まれた者である
すべて生んで下さった方を愛する者は
そのかたから生まれた者をも愛するのである
神を愛してその戒めを行えば
それによってわたしたちは
神の子たちを愛していることを知るのである
神を愛するとは、すなわち
その戒めを守ることである
そして、その戒めは難しいものではない
なぜなら、すべて神から生まれた者は
世に勝つからである
そして、わたしたちの信仰こそ
世に勝たしめた勝利の力である
世に勝つ者はだれか
イエスを神の子と信じる者ではないか」
(ヨハネの第一の手紙5章1‐5節)

イエスをキリスト(救い主)と信じる人は
その救いの力を信じて
洗礼と聖霊のバプテスマにあずかった人であり
「神から生まれた者」とされています

このクリスチャンとしての信仰は
「イエス(神)を愛すること」が基本にあって
「神の戒めを守る」ことにより
神を愛していることを示します

「神の戒め」とは
”神を愛することと
自分と同じように隣り人を愛すること”
ただし、それは
洗礼と聖霊のバプテスマを受けて救われることが前提であって
自分の力で自分を清くしようとしても
それはできることではありません

神を愛し
その救いを受けた者の信仰は
この奸悪なる世の中にあっても
サタンの惑わしから守ってくれるため
「世に勝つ」ことができます

「世に勝つ」とは
この世の中で自分がお金持ちになったり
何か偉い人になるということではなく
どんな状況の中でも
サタンの惑わしに負けず
信仰によって平安を得て
正しく生きていくことを示しています

実際のところ
わたしたちの人生には
”なぜこんなことが起こるのだろう?”と
疑問に思うようなことが色々と起こってきます
その時、世の中の多くの人は
世のもの(お金や地位)でもって
物事を解決しようとするのですが
それは思うようにはいきません
人の心は複雑で
サタンに惑わされ、闇の中に引き込まれると
それを人の力で正すことはできないからです

思うようにいかない人生を嘆き
だれかをねたみ、怒りをおぼえ
荒んでいく心を
どうして人が止めることができるでしょうか
人間は弱いので
自分で自分を清め
常に正しくあろうとしても
それは不可能なことなのです

この哀れな人間のために
神は、ご自分が肉体を持った人間となって
人類に救いを与えるために来てくださいました
この方がイエス・キリストです

「このイエス・キリストは
水と血とをとおってこられたかたである
水によるだけではなく
水と血とによってこられたのである
そのあかしをするものは御霊である
御霊は真理だからである
あかしをするものが、三つある
御霊と水と血とである
そして、この三つのものは一致する」(6‐8節)


ここで「血」とあるのは「肉体」のことです
すなわち、神が人間の肉体をもたれたこと
これを「受肉」といいます

聖書において
「神は唯一」と記されていながら
「父なる神」と「子なる神」との表現があるのは
これらを全部「神」と表現すると
「受肉」の意味が
あいまいになってしまうからでしょう

更にここに「御霊(聖霊)」が加わると
神が三つ存在するかのように思えるのですが
「聖霊」もまた神ご自身であって
「助け主」として
信じる者の中に宿ってくださるわけです

このように
”御霊と水と血”とは
神が肉体(血)を持ち
洗礼(水)と聖霊(御霊)による救いを
持って来られたことを示しています

そして、このことを信じる者は
自分の中に「あかし」を持っている
「そのあかしとは
神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり
かつ、そのいのちが
御子のうちにあるということである
御子を持つ者はいのちを持ち
神の御子を持たない者は
いのちを持っていない」(11‐12節)


このように
クリスチャンは「いのち」を持っているので
どんな時代にあっても、どんなことが起きても
心乱れず、絶望せず
この世に打ち勝つことができる
ヨハネは
主イエスを信じる者たちに対して
この「永遠のいのち」を持っていることを悟らせ
希望を与えようとしていたのです

「わたしたちが
神に対していだいている確信はこうである
すなわち、わたしたちが何事でも
神の御旨に従って願い求めるなら
神はそれを聞きいれてくださるということである
そして、わたしたちが願い求めることは
何でも聞きいれてくださるとわかれば
神に願い求めたことは
すでにかなえられたことを、知るのである」(14‐15節)


神を愛し、神から生まれた者を
神は決して捨て置くことはありません
神から生まれた者は
神が常に守って下さるので
悪しきもの(サタン)が
ふれることはできないのです

この世の中、全世界は
悪しき者の支配下にありますが
神から出た者は「いのち」を持ち
真実な方を知る知力を与えられているので
この方を信じる限り
サタンに惑わされて
悪い方向(滅亡)に向かうことはありません

世の中には
これからも日々色々なことが起きていくとしても
神から生まれた者は心揺らがず
各々自分の置かれたところで
平安のうちに世に勝利し
神から与えられた使命を果たしていくのです

「わたしたちは、真実な方におり
御子イエス・キリストにおるのである
このかたは真実な神であり
永遠のいのちである」(20節)


「この言に命があった
そしてこの命は人の光であった
光はやみの中に輝いている
そして、やみはこれに勝たなかった」
(ヨハネによる福音書1章4‐5節)

「わたしは父にお願いしよう
そうすれば、父は別に助け主を送って
いつまでもあなたがたと共に
おらせて下さるであろう
それは真理の御霊である
この世はそれを見ようともせず
知ろうともしないので
それを受けることができない
あなたがたはそれを知っている
なぜなら、それはあなたがたと共におり
またあなたがたのうちにいるからである」
(ヨハネによる福音書14章16‐17節)

「ところが、わたしたちが受けたのは
この世の霊ではなく
神からの霊である
それによって
神から賜った恵みを悟るためである」
(コリント人への第一の手紙2章12節)

「見ないで信ずる者はさいわいである」
(ヨハネによる福音書20章29節)


「あなたがたは
イエス・キリストを見たことはないが
彼を愛している
現在、見てはいないけれども、信じて
言葉につくせない
輝きに満ちた喜びにあふれている
それは
信仰の結果なるたましいの救い
得ているからである」
(ペテロの第一の手紙1章8‐9節)




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