今週のみことば
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8月6日
「イエス・キリストの黙示
この黙示は、神が
すぐにも起こるべきことを
その僕たちに示すためキリストに与え
そして、キリストが
御使いをつかわして
僕ヨハネに伝えられたものである」
(ヨハネの黙示録1章1節)
これから近い将来、何が起こるのかを
神はヨハネに示され
ヨハネは自分が見たすべてのことを
この書簡に記しました
その冒頭においては
”(キリスト再臨の)時が近づいている”と
記されていますが
「その時」は
約2000年後の現在まで来ていません
しかし
「見よ、彼は、雲に乗ってこられる」(7節)
との約束は現在も続いていて
その十字架の血(洗礼)によって
罪から解放されたクリスチャンは
聖書に記されたことを信じて
その人生の日々を神にゆだねていくのです
さて
イエス・キリストがどういう方であるかについては
これまでも色々な書簡において
断片的に記されていましたが
ここではより一層
その立場が分かりやすく表現されています
「今いまし、昔いまし
やがてきたるべき者
全能者にして主なる神が仰せになる
『わたしはアルパであり、オメガである』
ここでは
主イエスご自身が
ギリシャ語アルファベットの最初と最後の文字をを引用し
「わたしは初めであり、終わりである」
という意味を表しています
つまり
主イエス・キリストは
天地創造の昔からおられ
今もおられ
やがて来られる(再臨)方
そして
この方こそ、全能者であり
主なる唯一の神なのです
ある時、ヨハネは
聖霊に感じて大きな声を聞きました
その声は
今ヨハネが見ていることを書き記し
7つの教会に送るよう命じるのですが
声の主を見ようとすると
彼はその足元に倒れてしまいます
すると、その方は言われました
「恐れるな
わたしは初めであり、終わりであり
また、生きている者である
わたしは死んだことはあるが
見よ
世々限りなく生きている者である
そして
死と黄泉とのかぎを持っている」
(17‐18節)
この声の主こそ
主イエス・キリストです
そして
すべての初めであり
終わりとなるこの方は
一度は十字架にかかって死にましたが
復活して、今も生きている方
さらには
「死と黄泉のかぎ」すなわち
「救い(罪の許し)に関するカギ」を
持つ方なのです
「わたしたちはこの事を知っている
わたしたちの内の古き人は
キリストと共に十字架につけられた
それは、この罪の体が滅び
わたしたちがもはや
罪の奴隷となることがないためである
それは、すでに死んだ者は
罪から解放されているからである
もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら
また彼と共に生きることを信じる」
(ローマ人への手紙6章6‐8節)
死人の中からよみがえったキリストは
もはや死ぬことはありません
そして、イエスの血による
洗礼のバプテスマを受けることで
一度この世に死んだクリスチャンは
罪に対して死んだ(解放された)者となり
神と共に生きる者とされたのでした
そして
クリスチャンとしての生涯は
今も生きて働く全能の神が
共にいてくださることを信じて
自分の思いに死んで
神と共に新たに生きていくのです
信仰とは
「己に死ぬ」ところから始まり
それは
自分の人生を神にゆだねることを表しています
つまり
初めに自分の思いありきではない
人は弱く
その思うところも完全ではないからです
こうして
神にあって己に死ぬことは
神と共に生きて
やがて幸いな実が結ぶ元となっていくのです
「しかし今や
あなたがたは罪から解放されて
神に仕え
きよきに至る実を結んである
その終極は永遠のいのちである」
(ローマ人への手紙6章22節)
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