今週のみことば

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8月13日

「そこで、あなたの見たこと、現在のこと
今後起ころうとすることを、書きとめなさい
あなたがわたしの右手に見た七つの星と
七つの金の燭台との奥義は、こうである
すなわち
七つの星は七つの教会の御使いであり
七つの燭台は七つの教会である」
(ヨハネの黙示録1章19-20節)

この世の終末に関する出来事について
神の啓示を受けたヨハネは
様々な不思議なものを見せられます

1章の最後には
「七つの燭台」が登場し
そこに立つ主イエスの右手には
「七つの星」がありました
そして
「七つの燭台」は「七つの教会」を
「七つの星」は「七つの教会の御使い」を
それぞれ示していると記され
2章からは
七つの教会に対して
良い所と悪い所が
具体的に述べられていきます

まずは、2章1節において
「エペソにある教会の御使いに
こう書きおくりなさい」
と書き出し
続いて
エペソの教会の労苦と忍耐をねぎらった後
「しかし、あなたに責むべきことがある
あなたは、初めの愛から離れてしまった」(4節)

と、警告しています

サタンの惑わしの中で
いつの間にか
愛である神から離れ
神の心を忘れていく教会は
自分の信仰がどこから変わっていったのか
省み、悔い改めなければならない
もしそうしないなら
主イエスご自身が
「あなたの燭台」、すなわち教会を
その場所から取りのけるというのです

そして
7つの教会に対する言葉の最後には
「耳のある者は
御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」

との言葉が
必ず添えられています

神の教会はどんなことがあっても
人の言葉に惑わされず
神の言葉に従わなくてはなりません
しかし
様々な惑わしの中で
人の心は揺らいでいきます

3章14節以降は
七つの教会の最後
ラオデキアの教会への言葉です

「熱くもなく、冷たくもなく
なまぬるいので
あなたを口から吐き出そう
あなたは、自分は富んでいる
豊かになった
何の不自由もないと言っているが
実は、あなた自身がみじめな者
あわれむべき者
貧しい者
目の見えない者
裸な者であることに気が付いていない」
(14‐17節)


ここでは誉め言葉はなく
最初から厳しい言葉が続きます

神に対する思いが
熱いわけでも冷たいわけでもなく
生ぬるい
つまり関心がない状態なわけですが
実際のところ
人間は自分が何不自由ない状況になれば
神の存在など関心がなくなるのは
よくあることです

しかし
そんな弱い人間に対しても
神は常に愛をもって見守り
わたしたちが心を開く時を待っておられます

「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている
だれでもわたしの声を聞いて戸を開けるなら
わたしはその中に入って彼と食を共にし
彼もまたわたしと食を共にするであろう
勝利を得る者には
わたしと共にわたしの座につかせよう
それはちょうど、わたしが勝利を得て
わたしの父と共に
その御座についたのと同様である」(20‐21節)


信仰の世界における「勝利」とは
物質的に豊かになることではありません
それが目的であれば
目的が達せられた時点で信仰も終わりです

クリスチャンにとって大切なことは
様々な試練を通して神の愛を知り
いよいよ神を愛して
最後までその信仰を全うすること

サタンの惑わしに負けず
神の愛を見失わず
今日まで支えられてきたことへの感謝と
神と共にあるこの人生が
いかに幸いであるかを忘れないためには
聖書のみことばを読んで
日々教えられていかなくてはなりません

ただ、聖書の中にはわかりにくい箇所もあり
それを無理に説くことはしないようにと
記されていますから
聖書に書かれた教えをそのままを信じて
勝手に足すことも省くこともしないで
キリストの愛に根ざした信仰生活の全うに
努めていきたいと思います

「この書の預言の言葉を聞く
すべての人々に対して
わたしは警告する
もしこれに書き加える者があれば
神はその人に
この書に書かれている災害を加えられる
また、もし預言の書の言葉を取り除く者があれば
神はその人の受くべき分を
この書に書かれているいのちの木と聖なる都から
取り除かれる」(22章18‐19節)


「聖書の預言はすべて
自分勝手に解釈すべきでないことを
まず第一に知るべきである
なぜなら、預言は決して
人間の意志から出たものではなく
人々が聖霊に感じ
神によって語ったものだからである」
(ペテロの第二の手紙1章20‐21節)



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