今週のみことば
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8月20日
「アブラハムからダビデまでの代は合わせて14代
ダビデからバビロンに移されるまでは14代
そして
バビロンへ移されてからキリストまでは14代である」
(マタイによる福音書1章17節)
マタイによる福音書は
まず『イエス・キリストの系図』から始まります
アブラハムから始まるこの系図には
ほとんど父親の名前が続く中で
エリコの城壁でイスラエルの偵察隊をかくまった
カナン人の遊女ラハブが
サルモンの妻として名を連ねており
二人の間に生まれたボアズの妻となった
モアブ人ルツの名前も記されています
ラハブもルツも
元はイスラエルの民ではありませんでしたが
イスラエルの神を信じる者となり
こうしてイエス・キリストの系図に入れられる
重要な存在となったのでした
そして
ボアズとルツのひ孫にあたるのがダビデで
ダビデから28代でキリストが誕生するのです
18節からは
キリスト誕生のいきさつが記されています
ヨセフと婚約していたマリヤが
聖霊によって身ごもったため
ヨセフはひそかに離縁しようとするのですが
主の使いが夢に現れて言いました
「ダビデの子、ヨセフよ
心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい
その胎内に宿っているものは聖霊によるのである
彼女は男の子を生むであろう
その名をイエスと名づけなさい
彼は、おのれの民を
そのもろもろの罪から救う者となるからである」
(20‐21節)
この出来事が起こったのは
かつて神が
イザヤを通して預言されたことが成就するためでした
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう
これは『神われらと共にいます』という意味である」
(23節)
この預言は
イザヤ書7章14節に記されており
8章10節には
「神がわれわれと共におられる」
とのみことばも出てきます
マタイによる福音書の一番最後28章20節において
「見よ、わたしは世の終わりまで
いつもあなたがたと共にいるのである」と
約束してくださった主イエスは
どこか遠くの世界にいる存在ではなく
常にわたしたちと共にいてくださる神です
わたしたちの人生には良い時ばかりではなく
悪い時もあって
そんな時には
神さまなんていないのでは・・・?と
不信感を持つ人もあるでしょう
しかし
良い時も悪い時も
神はわたしたちと共にいてくださって
その悪いことの中にも
神の恵みと働きがあることを
わたしたちは心に留めておかなくてはなりません
自分の思い通りではないために
「神が働いてくださらない」と
愚痴を言う人がありますが
神の働きは常にあって
人の心が神に向いていないために
その働きが見えないのです
もし、どんな時にも神に心が向けば
不都合な状況の中にも
幸いを見出すことができるでしょう
結婚前のマリヤとヨセフの身に起きた出来事は
普通に考えれば彼らにとって不都合なことです
しかし、彼らはそれを受け入れました
御使いを通して
神の言葉を受け入れたその信仰は
「救い主の誕生」という
人類の大きな幸いにつながっていくのです
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