今週のみことば


9月17日

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「そのころ、バプテスマのヨハネが現れ
ユダヤの荒野で教えを宣べて言った
『悔い改めよ、天国は近づいた』
預言者イザヤによって
『荒野で呼ばわる者の声がする
”主の道を備えよ
その道筋をまっすぐにせよ”』
と言われたのは
この人のことである」
(マタイによる福音書3章1-4節)

救い主として生まれた主イエスが
公にその教えを宣べ伝える前
「バプテスマのヨハネ」が現れて
人々に”悔い改め”を説いていました

これから主イエスによって
「救いの道(天国)」のことが説かれる前に
まず人々の心を神に向かせ
「主の道」を整えることが
ヨハネの役割でした
そのために彼は
「悔い改めのバプテスマ」を人々に施し
やがて主イエスが来られるのを待っていたのです

一般的に「悔い改め」とは
”心と思いを変えることで自分を神に近づける”
”罪から離れて神に心を向ける”
といった意味がありますが
主イエスが来られて天国について語られても
もしその心が神に向いていないなら
御言葉の意味を理解することはできません

実際にヨハネは
悔い改めのバプテスマを受けに来た人々の中に
パリサイ人やサドカイ人がたくさんいるのを見て
彼らを「まむしの子」と呼び
彼らはプライドが高いばかりで
その心が神に向いていないことを指摘します

「だから、悔い改めにふさわしい実を結べ
自分たちの父にはアブラハムがあるなど
心の中で思ってもみるな
おまえたちに言っておく
神はこれらの石ころからでも
アブラハムの子を起こすことができるのだ」(8‐9節)


そして
良い実を結ばない木は
ことごとく切られて火の中に投げ込まれるのだと・・

「わたしは悔い改めのために
水でおまえたちにバプテスマを授けている
しかし、わたしのあとから来る人は
わたしよりも力のあるかたで
わたしはそのくつをぬがせてあげる値打ちもない
このかたは、聖霊と火とによって
おまえたちにバプテスマをお授けになるであろう」(11節)


ヨハネの後から来る人
すなわち主イエス・キリストは
神が肉体をもってこの世に来られた方であり
ヨハネによる福音書3章5節において
「だれでも、水と霊とから生まれなければ
神の国を見ることはできない」
と説き
その後、主イエスの血によるバプテスマ(洗礼)と
聖霊降臨によって聖霊のバプテスマを与え
それらを受ける者を
天国に新たに生まれる者とされたのでした

さて、ある時
主イエスはヨルダン川に現れて
自分にも悔い改めのバプテスマを施すよう
ヨハネに求めます
ヨハネは驚いて辞退しようとしますが
イエスは答えて言われました
「今は受けさせてもらいたい
このように、すべての正しいことを成就するのは
われわれにふさわしいことである」(15節)


主イエスは神ご自身であり
罪の全くない方が
人間の肉体をとってこの世に来られましたが
すべての正しいとされることを
人々と同じように経験することで
その肉体が何か特別なものではなく
すべての人と同じであることを示されたのです

それほど、普通の人間と同じ肉体を持つことが強調されているのは
神ご自身が肉体を持つ人間の弱さを知っていることは
やがて神から人間へ与えられる愛につながり
人間にとっても
この神はわたしたちの弱さを思いやってくれる方だと
神への信頼につながるからです

ヨハネによって
悔い改めのバプテスマを受けた主イエスが
水から上がられると
天が開け
神の御霊が鳩のように
主イエスの上に下ってきました
「これはわたしの愛する子
わたしの心にかなう者である」(17節)

この天からの声は
主イエスが人間の肉体を持っていても
神から来た方であることを証しするものでした



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