今週のみことば


9月24日

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「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた
悪魔に試みられるためである
そして、四十日四十夜、断食をし
そののち空腹になられた
すると試みる者がきて言った
『もしあなたが神の子であるなら
これらの石がパンになるように命じてごらんなさい』
イエスは答えて言われた
『”人はパンだけで生きるものではなく
神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである”
と書いてある』」
(マタイによる福音書4章1-4節)

神が人間の肉体を持つことで
人間の持つ肉の弱さも体験されることとなった主イエスは
ここで「悪魔の誘惑」を受けることになります

確かに神であれば
石をパンに変えることなど容易いでしょう
しかし、それではわたしたち人間が経験する試みに対して
どのような対処すればいいのかという答えにはなりません
実際に人間は空腹に弱く
食べるものがなければ生きていくことはできませんが
食べ物だけで生かされているわけではなく
「神の言葉」こそが人間を生かすものであることを
申命記6章16節のみことばを用いて説いています

さらに悪魔は主イエスに対し
神殿の屋根から飛び降りてみろと言います
天使たちがあなたを支えるのだろう?と揶揄するのですが
「イエスは彼に言われた
『”主なるあなたの神を試みてはならない”
とまた書いてある」(7節)

申命記8章3節のみことばを引用して対抗します

また悪魔は
今度は世のすべての国々とその繁栄を見せて
もし悪魔を拝むならこれらをすべて与えようと言います
しかし、ここでも申命記6章13節を引用して
悪魔の言葉を封じたのでした
「『サタンよ退け
”主なるあなたの神を拝し
ただ神にのみ仕えよ”と書いてある』」(10節)


サタンは神の言葉には勝てないので
最後には離れていきました
このように
どんな誘惑があっても
神の言葉に立って判断すれば
間違いを犯すことはありません

しかし
もしサタンに用いられる(心が捕らわれる)なら
悪いことが正しいことのように思えるので
正しい判断ができなくなるのです

神の言葉は
”人に命をもたらす言葉”
これに対してサタンは
人の心に「思い(情欲)」や「不信感」をもってくるので
それを防ぐために必要なのは信仰です

ここでは実際に
主イエスご自身が試みに会い
サタンの誘惑をどう防ぐのか見本を示されました
人を本当に心から愛してくださる神であるからこそ
ここまでして具体的な方向が示されながらも
なお人は自分の思いにこだわり
神と人とを隔てる壁を自らが作っていることに
残念ながらなかなか気づかないものです

「さて、イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞いて
ガリラヤへ退かれた
そしてナザレを去り
ゼブルンとナフタリとの地方にある
海辺の町カペナウムに行って住まわれた」(12‐13節)

その後、主イエスは
イザヤ書9章1‐2節のみことばに従って
カペナウムに移り住み
この時から天国の教えを宣べ始めます

そして、ガリラヤの海辺で網を打つ漁師
ペテロとアンデレに出会い
「わたしについてきなさい
あなたがたを
人間をとる漁師にしてあげよう」と言って
彼らを弟子とし
更にゼベダイの子ヤコブとヨハネもまた
舟と父親とをおいて
イエスに従う弟子になるのでした

彼らにとって主イエスとの出会いは
それまでの自分の生活の手段であった大切な網と舟を捨てて
天国を伝える宣教活動に加わるという
全く違った人生の始まりでした

「イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて
諸会堂で教え
御国の福音を宣べ伝え
民の中のあらゆる病気
あらゆるわずらいをおいやしになった
そこで、その評判は全地に広まり
人々があらゆる病にかかっている者
悪霊につかれている者
てんかん、中風の者などを
イエスのところに連れてきたので
これらの人々をおいやしになった」(23‐24節)


こうして主イエスによる神の業が次々なされ
その評判は町々に一気に広まっていきました
そして、その様子を一番間近で見たのは
主イエスの言葉に従ってついてきた弟子たちです
神は愛の方ですから
残してきた父親にも
困らないよう配慮がなされたことでしょう
そして
弟子たちは「神に従う」ことにより
主イエスと共にあることの幸いを
身をもって体験することになるのです



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