今週のみことば


1月28日

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「さて、パリサイ人たちが近づいてきて
イエスを試みようとして言った
『何かの理由で、夫がその妻を出すのは
さしつかえないでしょうか』
イエスは答えて言われた
『あなたがたはまだ読んだことがないのか
”創造者は初めから人を男と女に造られ
そして言われた
それゆえに人は父母を離れ、その妻と結ばれ
ふたりの者は一体となるべきである”
彼らはもはや、ふたりではなく一体である
だから、神が合わせられたものを
人は離してはならない』」
(マタイによる福音書19章3-6節)

パリサイ人たちは律法についてイエスに質問し
おとしいれる機会をねらっていました
今回は「離婚について」です

理由があれば離婚してもいいのか?
それに対してイエスは
創世記のみことばを引用し
創造主である神が語られた結婚の意味と
神が合わせられたものを
人の思い(都合)で離すべきではないと告げます

ではなぜモーセは
妻を出す場合には離縁状を渡せと定めたのか?
この質問に対しては
最初からではなく
人々の心が頑固だからそうなったのだと語り
更にこう付け加えました
「不品行のゆえでなくて
自分の妻を出して他の女をめとる者は
姦淫の罪を犯すことになる」(9節)

妻が不倫をしたわけでもないのに
夫側の都合で離縁してほかの女性と再婚するなら
それは姦淫の罪に当たる
これが神の答えです
しかし
そういうことは起こりうると考える弟子たちは
罪を犯すくらいなら結婚しないほうがマシだと言いました

常に律法を守っている自分には何の罪もないと
思い上がっているパリサイ人に対して
自分には罪を犯す可能性があると
人間の弱さを認識している弟子たち
その弟子たちにイエスは言われました
『だれもがこの言葉を受け入れるのではなく
恵まれた者だけである』(11節)


13章11節でイエスは以下のように語られています
「あなたがた(弟子たち)には
天国の奥義を知ることが許されているが
彼ら(群衆)には許されていない」

人にはそれぞれの思いや考え方があるでしょう
しかし、天国では神の思いがすべてであり
それを受け入れることができるのは
「恵まれた人」だけです

今回の結婚についての話は
色々な事情で結婚しない人があることも
受け入れることができる人は受け入れなさいと
恵まれた人の考え方が語られました

また、13節には
子どもを連れた人たちがイエスの元に
祈っていただきに来るのですが
弟子たちはそれを止めようとしました
彼らは18章で
天国で一番偉い人はだれかという質問をし
それは「子ども」だと教えられたのに
その意味が分かっていなかったのでしょう

さらに16節からは
お金持ちの青年が登場します
「先生、永遠の命を得るには
どんな善いことをすればよいのでしょうか」


これに対してイエスは言われました
「なぜ、善いことについて、わたしにたずねるのか
善い方はおひとりである」(17節)


「完全に善い方」である神から見れば
人間の中に「善い人」はいません
それを悟らせるために
イエスはこの青年に
「もし命を得たいのなら掟を守りなさい」
と告げます
そこで具体的にあげられたいくつかの掟について
この青年は言いました
「『そういうことはみな守ってきました
まだ何か欠けているでしょうか』
イエスは言われた
『もし完全になりたいのなら
行って持ち物を売り払い
貧しい人々に施しなさい
そうすれば、天に富を積むことになる
それから、わたしに従いなさい』
青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った
たくさんの財産を持っていたからである」(19‐22節)


お金持ちの青年は
自分の正しい行い(律法を守る)で天国に入れると思っていましたが
神の求める「完全な善の姿」は
自分が思っているようなものではありませんでした
彼はイエスの言葉の真意を悟ることができず
ただ落胆して去ってしまうのです

「イエスは弟子たちに言われた
『はっきり言っておく
金持ちが天の国に入るのは難しい
重ねて言うが
金持ちが神の国に入るよりも
らくだが針の穴を通る方がまだやさしい』」(23‐24節)


13章の「種まきのたとえ」では
良い地にまかれた種以外は
実を結びませんでした
中でも「いばらの中にまかれた種」は
”世の思いわずらい”や”富の誘惑”が
御言葉をおおいふさいでしまうため
信仰が実らない人です

特に多くの財産がある人は
全能の神の力よりも
お金の力を頼りとするので
なかなか御言葉が受け入れられません

「弟子たちはこれを聞いて非常に驚き
『それでは、だれが救われるのだろうか』と言った
イエスは彼らを見つめて
『それは人間にできることではないが
神には何でもできる』と言われた」(25‐26節)


ここで重要なのは
すべてのことができる全能の神に対して
自分の力ではできないことが多すぎる人間は
自分を救う力を持たないので
神に寄りすがるしかない
まずこのように悟ることです

そして
この弱い人間を救うために
神ご自身が救い主となってこの世にきて下さり
万民に「救いの道」が開かれました

こうして神に招かれ
救いにあずかったクリスチャンは
「キリストに属するもの」となったのですから
神のご計画が
自分の考え方や理想とは違っていても
受け入れることが重要です
それは
神がすべての事ができる方だと
信頼している人にだけ可能なことであり
それを「恵まれた人」と呼ぶのです

心の内にわいてくる様々な思いと戦いながら
何が正しいことなのか
その基準は常に神にあると悟る人は
人生に勝利を得ることができます
ただし
悟ることに年数は関係ないので
信仰歴が古い人でも
いつまでも大切なことが分からない人もあれば
新しい人でもすぐに悟る人もあります

自分の心の中にある
信仰のさまたげとなる思いに気づき
それらを捨てて
神に従っていける人は幸いです

「しかし、先にいる多くの者が後になり
後にいる多くの者が先になる」(30節)

「主に不可能なことがあろうか」
(創世記18章14節)

「ヨブは主に答えて言った
あなたは全能であり
御旨の成就をさまたげることはできないと悟りました」
(ヨブ記42章1節)




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