今週のみことば


2月11日

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「一行がエルサレムに近づいて
オリーブ山沿いのベトファゲに来た時
イエスは二人の弟子たちを使いに出そうとして言われた
『向こうの村へ行きなさい
するとすぐ、ろばがつないであり
一緒に子ろばのいるのが見つかる
それをほどいて、わたしのところに引いてきなさい
もし、誰かが何か言ったら
”主がお入り用なのです”と言いなさい
すぐ渡してくれる』
それは、預言者を通して言われていたことが
実現するためであった」
(マタイによる福音書21章1-4節)

ここはイエスご自身が
ご自分を「救い主」であると教えるために
ゼカリヤ書9章9節を引用し
実際に子ロバに乗って
エルサレムに入って行く場面です

子ロバに乗ったイエスの周りには
大勢の群衆が集まってきて
その行く道に自分の服や木の枝を敷いて叫びました
「ダビデの子にホサナ
主の名によって来られる方に
祝福があるように
いと高きところにホサナ」(9節)


「ホサナ」とは
ヘブライ語で「主よ救いたまえ」という意味です
かつて預言者によって記され
長い間待ち続けた救い主の出現に
人々は感激し、救いを求めるのでした

その一方で、神殿では
両替商や、ささげもののハトなどを売る商人が
お金もうけの商売をしていました
その様子を見たイエスは怒り
台をひっくり返して言われました

「こう書いてある
『わたしの家は祈りの家と呼ばれるべきである』
ところが、あなたたちは
それを強盗の巣にしている」(13節)


ここでは
イザヤ書56章7節から
「わたしの家は
すべての民の祈りの家と呼ばれる」

エレミヤ記7章11節から
「わたしの名によって呼ばれるこの神殿は
お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか
そのとおり
わたしにもそう見える、と主は言われる」

これらのみことばが引用されています

「神殿」は、「神の家」です
本来そこには
信仰と祈りが満ちているはずですが
実際には
不信仰な人々によって荒らされていました

これは
わたしたち一人一人の心が問われている箇所です
聖霊を持つクリスチャンは
自分の内側に神を持つ「神殿」として
各々が生かされていますが
その心の中に「不信」が忍び込んで荒らして行く時
たちまち信仰は弱ってしまうのです

「祈りの家」には
本来あるべき姿があります
それは
心からイエスを信じ、近づき、求めていくこと
それによって神の業がなされ
すべての栄光を神に帰すこと

しかし
人間は弱いので
自分の願い通りに事が進まないと
神を見上げることが難しくなるものです
それでも
神によってなされたことを良しとして
受け入れることができる人は幸いです

というのも
その先に何があるのかを
わたしたちは知りません
そのために不安になるのですが
「神殿」は、本来
神の栄光があらわれるところであり
それを信じて従っていく(受け入れていく)人
すなわち「神に立つ人」には
世の中の諸問題に勝利する力が与えられるのです

「知らないのですか
あなたがたの体は
神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり
あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」
(コリント人への第一の手紙6章19節)


さて、エルサレムの神殿の中は
商売人によって荒らされていましたが
神殿の外では
体の不自由な人々が
救いを求めてイエスの所に集まり
彼らはみな癒されていきました
また
幼い子どもたちまでイエスを救い主と信じ
「ダビデの子にホサナ」と叫ぶ様子を見て
祭司長や律法学者たちは腹を立てますが
イエスは詩篇8篇1‐2節を引用し
その後、エルサレムを出て行くのでした
「主、われらの主よ
あなたの名は世にあまねく
いかに尊いことでしょう
あなたの栄光は天の上にあり
みどりごと、乳飲み子との口によって
ほめたたえられています」


18節からは
「いちじくの木」が枯れる様子が記されています
イエスがイチジクの実を食べようとしたら
実が生っていなかった
そこで
『今から後いつまでも
お前には実が生らないように』
と言われると
イチジクの木は枯れてしまいました

全能の神は活殺自在です
その権威を見せられた弟子たちは驚きますが
この神の権威を信じる信仰によって
どんなことでもなるのだと
信仰を持つことの大切さを
彼らは教えられるのです

「イエスはお答えになった
『はっきり言っておく
あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば
いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく
この山に向かい
”立ち上がって、海に飛び込め”と言っても
そのとおりになる
信じて祈るなら
求めるものは何でも得られる」(21‐22節)


聖霊を宿した「神殿」として
クリスチャンはどんな時にも信仰に立つことで
希望を持ち
生かされていきます
たとえ絶望的な状況にあっても
すべてのことができる全能の神の権威のうちにあることを信じ
滅ぼす者に滅ぼされないように
信仰に立って進んで行きたいものです

「もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が
あなたがたの内に宿っているなら
キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは
あなたがたの内に宿っている御霊によって
あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるであろう」
(ローマ人への手紙8章11節)




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