今週のみことば

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2月25日


「イエスは、また、たとえを用いて語られた
『天の国は、ある王が王子のために
婚宴を催したのに似ている
王は家来たちを送り
婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが
来ようとしなかった』」
(マタイによる福音書22章1-3節)

「天国の奥義」について
イエスご自身による「たとえ話」が続きます

王子の婚宴に招いていた人たちは
それぞれの都合で来ようとしなかった
王は再び家来たちを使いにやったが
人々は無視し
家来に乱暴し、殺してしまった
そのため王は怒り
この人々を滅ぼした

この婚宴に招かれていた人々は
王から「ふさわしくなかった」とされ
今度は通りにいる人々を誰でも招いたので
そこには善人も悪人もいて
婚宴の席は埋まったが
その中に礼服をつけていない者がいた
彼は王から
『どうして礼服を着ないのか』と問われ
黙っていると
外の暗闇に放り出されてしまった

このたとえにおいて
王様は神のひな形です
せっかく天国へ招かれていても
多くの人は来ようとしない
それどころか
「救いの道」について伝えても
馬鹿にされたり迫害されたりもします

また、本来、神の選民であるユダヤ人が
まず聞き入れるべきところを
彼らはイエスを救い主として認めず
この福音はやがて異邦人へと伝えられますが
天国への招きにふさわしい「礼服」
すなわち、洗礼と聖霊とのバプテスマを受けて
「キリストを着た人」となることを勧めても
実際に心を開いて受け入れる人は少ないのです

「招かれる人は多いが
選ばれる人は少ない」(14節)


この「キリストを着る」という表現は
ガラテヤ人への手紙3章27‐28節に出てきます

「あなたがたは皆、信仰により
キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです
洗礼(バプテスマ)を受けて
キリストに結ばれたあなたがたは皆
キリストを着ているからです」


「婚宴のたとえ」の次は
パリサイ人の嫌がらせの質問が始まります

「皇帝に税金を納めるのは
律法にかなっているでしょうか」(17節)

これに対してイエスは
税金に納めるデナリオン銀貨を持って来させ
『これはだれの肖像と銘か』と問います
パリサイ人らが『皇帝のものです』と答えると
『では、皇帝のものは皇帝に
神のものは神に返しなさい』と告げるのでした

17章においても「神殿税」を払ったように
イエスによる導きは非常識なものではありません
それが仮に必要ないものだとしても
”人々をつまづかせないため”に納税する
その配慮が重要なのです

また23節からは
サドカイ人らがやって来て質問します
7人の兄弟が次々亡くなり
そのたびに弟の妻となった女性は
最終的に誰の妻なのか?

「イエスはお答えになった
『あなたたちは聖書も神の力も知らないから
思い違いをしている
復活の時には
めとることも嫁ぐこともなく
天使のようになるのだ
死者の復活については
神があなたたちに言われた言葉を
読んだことがないのか
”わたしはアブラハムの神、イサクの神
ヤコブの神である”とあるではないか
神は死んだ者の神ではなく
生きている者の神なのだ』」(30-33節)


イエスによる救いにあずかる者は
すなわち復活にあずかる者
心を開いて神の言葉を受け入れるなら
生きている者の神は
必ずその声を聞いてくださるのです

34節からは
「最も重要な律法」についてパリサイ人が質問します

「イエスは言われた
『”心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして
あなたの神である主を愛しなさい”
これが最も重要な第一の掟である
第二も、これと同じように重要である
”隣人を自分のように愛しなさい”
律法全体と預言者は
この二つの掟に基づいている』」(37‐40節


救いにあずかってクリスチャンになった人は
この二つの律法を心に留めて
「愛のある生き方」を
イエスご自身の言動に学び
自分の生活に生かしていくことが大切です

礼服を身につけた人が
それにふさわしいマナーを求められるように
「キリストを着た者」は
ねたみや争いなどの肉の業(欲)を捨て
思いやりや配慮のある穏やかな生き方を
学んでいきたいものです

「主イエス・キリストを身にまといなさい
欲望を満足させようとして
肉に心を用いてはなりません」
(ローマ人への手紙13章14節)



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