今週のみことば


10月6日

「そこで彼は本心に立ちかえって言った
『父のところには食物のあり余っている雇人が大勢いるのに
わたしはここで飢えて死のうとしている
立って、父のところへ帰って、こう言おう
父よ、わたしは天に対しても
あなたに向かっても、罪を犯しました
もうあなたの息子と呼ばれる資格はありません
どうぞ雇人のひとり同様にしてください』
そこで立って、父のところへ出かけた
まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ
哀れに思って走りより、その首を抱いて接吻した」
(ルカによる福音書15章17-20節)

父親から財産を分けてもらった弟は
その財産を持って遠くに行き、放蕩に身を持ち崩しました
そして財産がなくなった頃ひどいききんが起こり
彼は食べ物にも窮する状態となります
そうなってみて思い起こすのは父の家でした

自分の浅はかさを悔いた弟は
父親のところへ帰ることにします
もはや息子としてではなく使用人にでもしてもらえたら・・
そんな改心した弟を父は思いがけず大歓迎しました

はじめ、財産を分けてもらった頃の弟は
お金を頼りにしていました
実際にお金があるうちは彼の周りには人が寄ってきて
一時的に面白楽しく暮らしましたが
お金の切れ目が縁の切れ目・・・
本当に困った時に助けてくれる人は誰もいません
そうなってみて彼ははじめて
自分の価値観の間違いに気づきます

絶望のどん底にある彼を救ったのは父親でした
ここでの父親は神さまのひな形です
世の中の欲に惑わされた人間も
その間違いに気づき、神に立ち返っていくなら
たちどころにその立場は変わり
思いがけない厚遇を受ける身とされるのです

悔いる弟を前に父はしもべたちに言いました
『さあ早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ
指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい
また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい
このむすこが死んでいたのに生き返り
いなくなっていたのに見つかったのだから』


たとえ放蕩に身を持ち崩した愚か者であっても
最上の着物と指輪で装わせ
これからはもう世の惑わしから足を洗い
神に立って歩いていくための靴をはかせてもらう幸いを
弟は得たのでした

神を知らない(信じていない)時には
世の中でさまよっていたわたしたちをも
神はその求めに応じて救ってくださいます

信仰的には死んだ状態の人が神に立ち返ろうとし
心から悔い改めて助けを求める
そんな人を誰よりも喜んで迎えてくださるのが神さまなのです

一方
放蕩に身を持ち崩した弟が歓迎されるのを見て
それまでずっと父に従ってきた兄は面白くありません
『自分はずっとまじめに働いてきたのに・・・』
彼は自分を義としていたので
弟を許すことができませんでした
自分を義とする信仰は心を狭くする
これは神に喜ばれるものではないでしょう

実際のところ
わたしたちはこの兄弟のどちらの面も持っています
一時的にしか効果のないお金よりも
神の愛と恵み、祝福のほうがどんなに幸いか
その差というものを教えられ
神に立ち返ることの重要性と
どんな状態からでも救ってくださる神の愛を思い
今こうして神にあることを感謝していきましょう

「あなたがたはわたしをたずね求めてわたしに会う
もしあなたがたがわたしを一新にたずね求めるならば
わたしはあなたがたに会うと、主は言われる」
(エレミヤ書29章13-14節)


「わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう
彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる
彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる」
(エレミヤ書24章7節)


色んな出来事がある時
その出来事だけに目を留める人と
そこで何かを教えられる人があります

物事の一面しか見ていなかった弟は
魅力的な道を追いかけて世の空しさを知りましたが
そんな彼にとって幸いだったのは
「本心に立ち返り」「父の元に返ろうとした」ことでした

「このままじゃあいけない」
そんな気持ちが神に立ち返るきっかけとなります
そこから一歩踏み出す時どんなことが起こるのでしょうか
放蕩息子の話を単なる物語としてではなく
わたしたちの日々の歩みに生かして
常に正しい方向へと軌道修正していきましょう




<目次