今週のみことば


10月15日

「マリヤは
イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所に行って
それを知らせた
彼らは、イエスが生きておられる事と
彼女にご自身をあらわされたことを聞いたが
信じなかった」
(マルコによる福音書16章10-11節)


イエスが十字架にかかり三日目の朝早く
マグダラのマリヤら女達は連れ立って墓に行きましたが
そこにはすでにイエスの姿はありませんでした
甦られたからです

しかし
その話を聞かされた弟子達は
誰一人信じようとしませんでした
イエスの十字架は神のご計画であることを悟らず
ただ肉の思いで悲しみにくれていると
最も重要な真実も受け入れることができない
いざとなれば
人の信仰などどこかへ行ってしまうもの
人はそういう存在なのです

そんな弟子達の不信仰を見て
よみがえりのイエスは彼らに言われました
「全世界に出て行って
すべての造られた者に福音をのべ伝えよ
信じてバプテスマを受けるものは救われる
しかし、不信仰の者は罪に定められる」(15-16節)

その後イエスは昇天され
代わりに助け主としての聖霊が人々に降ってきます
その聖霊を受けた弟子達は
それまでの不信仰から一変して
イエスの福音を勇ましく伝える者となっていきました

昔も今も聖霊の働きに変わりはなく
いざという時には
必ず聖霊がわたしたちの心に確信を与え
勇気をもって踏み出すように教えて下さいます
だからこそ、人はみな
聖霊と洗礼のバプテスマを受けて救われなくてはなりません
「信じる者」とは「イエスを受け入れる者」のことで
バプテスマを受けることがその証だからです

物事に対して
忠実に、正直に対処しようとするほど
人の心は迷うものです
わたしたちを取り巻く現実は
正直な人の心さえも押しつぶして
いつの間にか自分の私利私欲に走らせようとします
どんなに誠心誠意尽くしたいと願っていても
人の力だけではなかなかそれもかなわない・・

わたしたちが物事を一生懸命なすことは
人に誉められることが目的なのでしょうか?
もしわたしたちが人の評価ばかりを思うなら
やがて嫌な人格が身についていくでしょう
人は誉めてはくれなくても
神はすべてをご存知です

正しい道を悟り
地上にあって神の助けを受けながら
その恵みを人々に伝えること
「全世界に出て行って
すべての造られた者に福音をのべ伝えよ」
かつて弟子達に伝えられたこの言葉は
現在わたしたちにとっても使命となっています

「弟子達は出て行って
至る所で福音をのべ伝えた
主も共に働き
みことばに伴うしるしをもって
その確かなことをお示しになった」(20節)

神にあって正しい道に踏み出そうとする時
聖霊はわたしたちに勇気と力を与え
その上
神ご自身が一緒に働いて
さまざまな奇跡、不思議、しるしをもって
神の福音が確かなものであることが世に示される
これがクリスチャンの人生です

復活の朝
イエスのもとに来たマリヤらは
墓の入り口をふさぐ大きな石を誰が動かしてくれるだろうかと
みな心配していました
ところが
そこへ着いた時にはもう石は動かされていました

「あなたがたはなぜ生きた方を死人の中にたずねているのか
その方はここにはおられない、よみがえられたのだ」
(ルカによる福音書24章5-6節)

自分の力では動かせないほどの石=諸問題も
神の下に来れば解決する
そして
復活のイエスと共にある者は
例え落ち込んで死んだような状態からでも
立ち上がることができるのです

ならば、絶望の中をさまようのではなく
生きた神に希望を置いて進んでいきたい
日々の苦難も数々の不安も
すべては神にゆだね
常に祈って参りましょう




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