今週のみことば


10月27日

「あなたがたは地の塩である
もし塩のききめがなくなったら
何によってその味が取りもどされようか
もはや何の役にも立たず
ただ外に捨てられて
人々に踏みつけられるだけである

あなたがたは世の光である
山の上にある町は隠れることができない
また、あかりをつけてそれを枡の下におく者はいない
むしろ燭台の上において
家の中のすべてのものを照らさせるのである

そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし
そして、人々があなたがたの良いおこないを見て
天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」
(マタイによる福音書5章13-16節)

わたしたち神にあって歩む者は
地の塩、世の光として
人々の前に神を証していく者とせられています

もし、塩に味がなければ
それはなんの役に立つものではありません
人はその塩味を神から与えられることで
その人の役目を果たすことができるのです

決して自分自身が素晴らしいのではなく
自らの力で塩味を持ち
また
自らの頑張りで輝いているわけではないことを
いつまでも忘れないようにしたいものです

このように
神と共に進む者は
その中で良いものが光るのですが
人はしばしば自分自身で光っていると思いがちで
神の光を反射しているにすぎない自分を
いつの間にか過大評価してしまいます
そして
自分らが光っていると思うことから
神さまを利用することばかり考えるようになるのです
それが”ごりやく信仰”への道です

わたしたちが世の光として立てられるのは
自分の名誉のためではなく
あくまでも神を証するためですが
はじめは純粋であった神への思いも
成功者になることによって心は変わり
欲を追求する道に走る人が多いのは残念なことです

自然の山は四季によって彩りは変わっても
山の本質そのものは変わることはなく
春には芽を出し、夏には緑茂り
秋には実り、冬には眠るといった
一年を通じて同じ営みが繰り返されています
その営みこそが山の使命であり
自然はすべて神の摂理のうちに
粛々と自らの使命を果たしているのです

ところが
人間だけはその本質がしばしば変わります
状況に応じて神への心も変わり
都合で真理から離れていく
何によって変わるのかといえば
お金や地位や名誉を得ることで人間の本質が揺らぐことが
実に多いわけです

そんな弱さを持った人間にとって
自分に必要以上のものを手に入れることは
幸せなこととは言えないのです
かといって
目の前の暮らしに事欠くのも辛い・・
しかし
その辺のところ、ちゃんと神さまは
必要に応じて与えると約束してくださっていますから
日々の生活に疲れることも多々ありますが
必ず支えていただけることを信じて進んでいきたいものです

「このようにして、キリストの日に
わたしは自分の走ったことが無駄ではなく
労したことも無駄ではなかったと誇ることができる」
(ピリピ人への手紙2章16節)


わたしたちがなぜ信仰するのかといえば
この世にはサタンがいて
人の心に働きかけて迷いを与えるからです
だからこそ神に堅く立って
サタンの惑わしを防いでいかなくては
世の中にあって平安を得ていくのは難しいことです

人は実に弱いものですから
自分自身でいくら頑張れ!頑張れ!と励ましてみても
なかなか力が出てくるものではありません
自分の弱さを自覚し
常に祈って神からの力と助けを頂くことにより
さまざまな戦いに勝利をおさめることができるのです

「だから、あすのことを思いわずらうな
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう
一日の苦労は、その日一日で十分である」
(マタイによる福音書6章34節)


どんな人でも
今日は今日で教えられ
明日は明日で新たに教えられます
わたしは昔に教えられたから
今はもう何も教えられることはないというのではなく
日々新たに教えられ
間違いは悔い改め
正しく歩みだしていきましょう

今日一日の苦労を通して
その苦労の中にもどんなにか大きな助けを頂いているかを思い
感謝して明日の原動力としていくことができますように

「主の恵みふかきことを味わい知れ
主に寄り頼む人はさいわいである」
(詩篇34篇8節)


人の思いによっては
絶望のあまり神の光が消えそうになることもありますが
どんなことが起きても
なおその光が消えないように祈っていきましょう
いつまでもどこまでも神に従い
光を与えられていく人生には恐れがありません

こうして
どんな時にも平安を与えられて堂々と生きる生き様が
神さまを知らない人々にとって大きな証となるのです
現実はさまざまな問題に囲まれながらも
結果的にはいつも守られている
その助けを実感しながら
新しい週も勇気をもって踏み出していきましょう




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