今週のみことば
10月28日
「すると、雲がわき起こって彼らをおおった
そして、その雲の中から声があった
『これはわたしの愛する子である。これに聞け』
彼らは急いで見まわしたが、もはやだれも見えず
ただイエスだけが自分たちと一緒におられた」
(マルコによる福音書9章7-8節)
ペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて
イエスが山に登ったとき
その姿は変貌して、衣は白く輝き
側にはエリヤとモーセが現れた
突然のできごとに驚いたペテロは
『先生、わたしたちがここにいるのはすばらしいことです
それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう
一つはあなたのために、一つはモーセのために一つはエリヤのために』
と、思わず口走ります
ところが
雲の中から聞こえてきた声は
モーセでもエリヤでもなくイエスに聞くべきことを教えました
弟子たちにとって
イエスは大切な先生ですが
モーセやエリヤも偉大な指導者や預言者として
同列に見ていたのでしょう
彼らはまだ
「人の子は死人の中からよみがえる」
と言われても理解できず
イエスご自身が何者なのかわかっていなかったのです
そこで
人が唯一慕うべき方、従うべき方はイエスのみであることを悟るために
ここではっきりとした指針が示されたのでした
『これはわたしの愛する子である。これに聞け』
では、『わたしの愛する子』と言われたイエスは
どのような方なのでしょうか
弟子たちはその意味がわからず迷っていました
「イエスは彼に言われた
『ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに
わたしがわかっていないのか
わたしを見た者は、父を見たのである
どうしてわたしに父を示してほしいと言うのか』」
(ヨハネによる福音書14章9節)
またヨハネによる福音書10章30節には
「わたしと父とはひとつである」とあり
父なる神=イエスであることが
ここにイエスご自身の言葉として記されているのです
しかし、それはユダヤ人にとっては神への冒涜であり
弟子たちにとっても
すぐに理解できることではなかったようです
しかしながら
今日こうして聖書を読むわたしたちは
ここから大切な信仰の姿勢を学びます
どんな偉大な預言者も指導者も
あくまでも人間は人間
わたしたちが信じ、慕い、従って行くべき方は
イエス・キリストただひとりのみ
「恐れるな
わたしは初めであり、終りであり
また、生きている者である
わたしは死んだことはあるが
見よ、世々限りなく生きている者である
そして
死と黄泉とのかぎを持っている」
(ヨハネの黙示録1章17-18節)
十字架にかかって死に
また、よみがえり
現在もこれからも世々限りなく生き続け
彼を信じる者をも共に生かし
人の命の基を持っている神であるイエス
心のうちに真理を保ち
聖霊の働きと信仰によって
わたしたちは今日まで生かされてきました
立ち上がれそうもない程の試みにあいながらも
それでも生きてこれたのは
よみがえりの力を与えられてきたからです
かつては絶望で死んだようになっていた人であっても
今は神によって生きている
こうして
”生かされている”との実感をもつことは
人を感謝を持って生きる人に変えていくのですが
せっかく神の恵みを受けながら
生かされていることに気づかない人があるのも事実です
そういう人は
世の中の価値観から足を洗うことができず
自らが常に(見せかけの)一流であることを望み
また、そうであると思い込み
知らないうちに傲慢という落とし穴にはまっていくのです
世の中にあっても
一流と呼ばれる人は決しておごり高ぶることをしません
人に一流があるなら
神はそれよりもずっとずっと一流です
イエスは神でありながら
神としての権威を振りかざすことなく
淡々と自らのなすべきことをなし
必要なわざを行ってきました
この姿こそ
今日わたしたちが見習っていくべき姿ではないでしょうか
「キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは
彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである
すなわち、わたしたちは
その死にあずかるバプテスマによって
彼と共に葬られたのである
それは
キリストが父の栄光によって
死人の中からよみがえらされたように
わたしたちもまた
新しいいのちに生きるためである」
(ローマ人への手紙6章3-4節)
「だれでもわたしについてきたいと思うなら
自分を捨て
自分の十字架を負うて
わたしに従ってきなさい
自分の命を救おうと思う者はそれを失い
わたしのため、また福音のために
自分の命を失う者は
それを救うであろう」
(マルコによる福音書8章34-35節)
イエスの死にかたどった洗礼を受けた者は
すでにこの世に一度死んだ者です
それからは、キリストと共に
新しいいのちに生きる者となったのですから
自分の面子や欲を捨て
自分の弱さを背負いながら
みことばに従って生きていきます
もし
それでもなお”自分”というものにこだわるなら
大切なものを得ることはできません
みことばに従って
自分を捨てることは
一見自分のいのちを失っているようで
実は本当のいのちを得ているのです
神は
わたしたちにとって一番良い方法でもって
教え、導いて下さいます
それは、ある時には
自分の命を失うかのような厳しい事もあるかもしれませんが
そこから素直に教えられる人は
新しいいのちを与えられ
本当の意味で神と共に生きるものとして
成長させられていくのです
思うように行かないことばかりに目をとめ
ただ嘆くだけの日々を過ごすのではなく
ここから再び生かされていくために
信仰を堅く保って進んでいきましょう
「彼らは急いで見まわしたが、もはやだれも見えず
ただイエスだけが自分たちと一緒におられた」
どんな時にも共にいて助けてくださる方はどなたなのか
それは人ではなく
モーセでもエリヤでもない
ただイエスさまのみがわたしたちの助けであることをよく知り
希望をもって歩んでいきたいものです
<目次