今週のみことば


10月29日

「そういうわけで、これらのことを耳にして以来
わたしたちも絶えずあなたがたのために祈り求めているのは
あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって
神の御旨を深く知り
主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ
あらゆる良いわざを行って実を結び
神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである

更にまた祈るのは、あなたがたが
神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ
何事も喜んで耐えかつ忍び
光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった
父なる神に感謝することである

神はわたしたちを闇の力から救い出だして
その愛する御子の支配下に移してくださった
わたしたちはこの御子によってあがない、すなわち
罪のゆるしを受けているのである

御子は、見えない神のかたちであって
すべての造られたものに先だって生まれたかたである」
(コロサイ人への手紙1章9-15節)


このあとに続くみことばは
御子イエスが天地創造をなした神と同一であることを示しています
見えない神が見える人となって
全人類の罪の許しのために十字架にかかり血を流した
そして
その血を受ける洗礼が人類に与えられ
”霊的な知恵と理解力”とをもって神のご計画が何であるかを知るために
聖霊が与えられることで
人は人生に勝利を得る秘訣を教えられる者となったのです

人の知恵でもって神のご計画を知ることは難しく
神のご計画は神の霊(聖霊)がご存知なわけですから
罪の許しの洗礼を受けることと同時に
聖霊を受けることもまた人の救いには必須です

そうして
まず神の御旨、ご計画は何であるかを教えられ
自分の歩みを神にあわせていくことで
それまで自分では持ち合わせなかった力が与えられ
強くなることができるのです

どんなことにも耐え忍んでいく力こそ
”光のうちにある聖徒たちの特権”
世の闇の中に引きずられていくのではなく
光の権威の下に移される幸いは
神の力によって強くされた者が味わうことのできるものです

世の中で
良いことを言って近づいてくる人には注意しなくてはなりません
その言葉にのることは神が喜ばれることかどうか
自分の欲によって判断するのではなく
ここでは聖霊の導きが基準となりますが
何が聖霊の導き、つまり神の御旨であるかの判断は難しく
(人はどうしても上辺の姿や自分の欲にひかれてしまうので)
そのために教会が置かれています

ただし
教会で神の知恵が教えられたとしても
それを受け入れるかどうかはすべて本人に任せられているわけですから
神の御旨に従うに必要なのは”潔さ”でしょう
神の前には人は無きがごとき者となって
人生を歩むツボを神さまから教えられながら進むのが幸いです

「このイエスこそは
『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』
なのである
この人による以外に救いはない
わたしたちを救いうる名は
これを別にしては
天下の誰にも与えられていないからである」
(使徒行伝4章11-12節)

全人類を救いうるかたの名はイエスであり
イエス以外の名で人に救いは与えられない
よって洗礼は「イエスの名」によってほどこされます

このイエスの名をとなえることで
当時、使徒達は常に迫害を受けていました
このようにイエスは人々から役に立たない石のごとく捨てられながら
実は家を建てる時の中心の石でした
イエスを土台として人生の家を建てる人には
その人生は揺るがないものと約束されるのです

ヨハネによる福音書2章には『カナの婚宴』の奇跡が記されていますが
水がぶどう酒に変わる奇跡を見たのは
イエスの言葉に従って水がめに水を汲んで運んだしもべたちでした
なぜそうするのか、それがどうなるのか
何も知らされてはいない彼らは
それでも従いました
その労によって彼らは神の業を体験したのです

御旨の道に踏み出せばそこに必ず神の証が伴う
それは昔も今も同じです
神が見て”麗しい”と思われる道を
わたしたちは潔く選択して進んでいきましょう



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