今週のみことば


11月3日

「イエスは彼の様子を見て言われた
『財産のある者が神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう
富んでいる者が神の国にはいるよりは
らくだが針の穴を通る方がもっともやさしい』
これを聞いた人々が
『それでは、だれが救われることができるのですか」
と尋ねると、イエスは言われた
『人にはできないことも神にはできる』」
(ルカによる福音書18章24-26節)

ある役人がイエスに尋ねます
『よき師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか』
幼い頃から神の戒めをきちんと守っていると自負する彼に
イエスは言いました
『あなたのすることがまだ一つ残っている
持っているものをみな売り払って
貧しい人々に分けてやりなさい
そうすれば天に宝を持つようになろう
そして、わたしに従ってきなさい』
大金持ちだった役人は
この言葉を聞いて非常に悲しみました

財産を持っている人は
神よりもその財産を頼りとするため
”お金にすがるな”と言われても
なかなか受け入れられないものです
世のものに富んでいる人ほど
神の救いや助けには価値を見出すことが少なく
子どもに信仰を残すことよりも
財産を残すことに熱心になるのです

神を恐れる心のない人は悔い改めることができません
お金や社会的地位を持ってい人ほど
自分を省みる方向に思考が行かないため
物事をお金の力で動かそうとし
結果的に事態は良くない方向へと進んでいきがちです
こうして自ら天国から遠ざかっていくのでした

お金は生きていくために必須のものですし
誰でも欲しいに決まっています
神はそういう人間の心をご存知ですから
必要なだけは必ず与えてくださいますが
限りなく欲しくなる心理と
たくさんあると神を忘れることもご存知なのです

このように非常に弱い人間に対して
神は見捨ててしまうのかと言えばそうではありません
例えどうしようもなく貪欲な人であっても
神はその心を変えてくださいます
『人にはできないことも神にはできる』
神の救いとはそういうありがたいものなのです

更に、続く28節からペテロは語ります
「『ごらんなさい、わたしたちはすべてのものを捨ててあなたに従いました』
イエスは言われた
『よく聞いておくがよい
誰でも神の国のために、家、妻、両親、子を捨てた者は
必ずこの時代ではその幾倍をも受け
また、きたるべき世では永遠の生命を受けるのである』」

(同上28-30節)

このイエスの言葉は
一見とても冷たいことを強いているように思えます
しかし、聖書を読んでいる人は
イエスの教えは決して親や家族をないがしろにするような
妄信狂信の類ではないことをご存知でしょう
ここで重要なのは
「誰でも神の国のために、家、妻、両親、子を捨てた者は」
とある中の”神の国のため”という言葉です
つまり
家の面子や家族への情が邪魔をして
神の前に正しく歩むことが阻害される時に
そういう情を断ち切って
神に従う道を選ばなくてはならない場合もあるわけです

ここのみことばでは
人生のすべてを神にゆだねた人は
必ず平安を受けていくことを教えています
天国とは死んでから行く場所ではなく
生きている今、目の前にあるものですから
それを求めてわたしたちは神に従うのです

これが一番良い道に違いない
たとえそれが神の道ではなく
自分の情と欲から出たものであっても
そう人は信じて歩みだします
しかし
絶対それが正しいという自信はないため
常に心は揺らぎます
実際にそのような道を歩んでも上手くいくことはありませんから
いつかは行き詰ってしまいます

お金の欲に惑わされ
人の情に心揺さぶられ
人はいつも同じ間違いを繰り返す
結果はわかっていながらついつい欲や情に誘われ
いつまでも堂々巡りの人生では寂しいものです
どこかでそういう思いを断ち切って神に従う道を選ばなくては
天国を味わうことはできません

現実には神に従うことはとても難しいように思えますが
『人にはできないことも神にはできる』ことを信じ
その心が変えられていくように祈って進んでいきましょう
祈れば必ず希望が与えられ
そこから立ち上がる力も与えられます
そして開かれた道を進む
信仰者の歩みはそういう単純なものでもあります

「もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって
単なる望みをいだいているだけだとすれば
わたしたちはすべての人の中で最もあわれむべき存在となる」
(コリント人への第一の手紙15章19章)


この信仰は決してむなしいものではなく
イエスを信じることによって命を得、それは永遠に及ぶものです

「そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし
御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら
どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち
心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たして欲しい
何事にも党派心や虚栄からするのではなく
へりくだった心をもって
互いに人を自分よりすぐれた者としなさい
おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを
あなたがたの間でも互いに生かしなさい」
(ピリピ人への手紙2章1-5節)

多くの人々は
自分が他人よりも優れた者になることを望み
そうなることが勝ち組だと信じて生きています
また、そうなるために宗教を信じる人も多いでしょう
しかし
聖書の教える信仰はそういうものとは異なります
キリストに似る者となることを目標とし
神に従うというのはどういうことなのか
その生き方の見本がここには記されているのです

「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが
彼を愛している
現在、見てはいないけれども、信じて
言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている
それは、信仰の結果なるたましいの救いを得ているからである」
(ペテロの第一の手紙1章8-9節)

「しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え
きよきに至る実を結んでいる
その終極は永遠のいのちである」
(ローマ人への手紙6章22節)


神は人を罪から救い出すために
自ら人の形となり、十字架にかかって清い血を流し
その血をもって万人を救う洗礼を与えてくださいました
この神の大きな愛によって
わたしたちは何の功績がなくても罪から開放され
今こうして実際には神を見てもいないのに
信じて頼り、平安を与えられて日々を生きています
”たましいの救い”を受けることの重要性と
それを無償にて与えられた感謝をもう一度思い出し
いよいよ信仰の実を結ぶ者として神に従っていきましょう
普段、人は神に求めるばかりで
どんなにか自分が許しを得て生かされているかを忘れがちです
多く許されて今日があるわたしたちは
人をも多く許さなくてはならないのです

年をとると人生がわかったような気がして
知ったかぶりをする面もありますが
実は何もわからないから迷ったり愚かな間違いもするのです
欲のある人は年をとっても変なもうけ話に引っかかり
面子を重んじる人は見栄を張るためにいつも疲れています
そんな時、真理を聞かされると
耳が痛いために心を閉ざす人もあるでしょう

「兄弟たちよ、気をつけなさい
あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心をいだいて
生ける神から離れ去る者があるかもしれない
あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って
心をかたくなにする者がないように
”今日”といううちに、日々、互いに励まし合いなさい」
(ヘブル人への手紙3章12-13節)


お金を頼りにし、人の力や言葉を信じていくのではなく
神にすべてをゆだねて
この奸悪な世の中にあっても
真の平安を与えられて
神の証人として進んでいきましょう



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