今週のみことば


11月5日

「そこで彼は上着を脱ぎ捨て
踊りあがってイエスのもとに来た
イエスは彼に向かって言われた
『わたしに何をしてほしいのか』
その盲人は言った
『先生、見えるようになることです』
そこでイエスは言われた
『行け、あなたの信仰があなたを救った』
すると彼は、たちまち見えるようになり
イエスに従って行った」
(マルコによる福音書10章50-52節)



目の見えないバルテマイが
道ばたにすわって物乞いをしている時
イエスとその弟子たち、そして大勢の群衆がやってきました
彼はイエスが来たことを知ると
『ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください』
と、叫びだしました
群衆は彼を叱って黙らせようとしますが
バルテマイはますます激しく叫びます
そこでイエスは立ち止まり
彼はその目が癒される機会を得たのでした

懸命にイエスを求めるバルテマイに対して
その行為をとどめようとする群衆
それは
わたしたちが各々祈る時にも起こってくる
”祈ってもどうせダメじゃないか”
という心の思いと同じです

面白くない時に振り返って思うことは
常に思うように行かないことばかりです
本当はあれもこれも助けられていながら
そして
事は確実に動いているというのに
それに気づかず
あるいは満足せず
感謝できないこともあるでしょう

そんな群衆の声を振り切って
いよいよイエスに求め続けるバルテマイの信仰は
彼自身を救いました
ここで大切なことは
ただ単に目が見えるようになったということではありません
わたしたちが目をとめるべきは
バルテマイがその時どういう状況に置かれていて
どういう心境であったか
いかにイエスを求めていたかです

人はすぐに奇跡のみに目をとめるのですが
聖書が教えているのは
奇跡を見るための信仰ではなく
本当に神を見ることのできる目を与えられるように
その信仰を養うことなのです

「主は言われる
わたしがあなたがたに対していだいている計画は
わたしが知っている
それは災いを与えようというのではなく
平安を与えようとするものであり
あなたがたに将来を与え
希望を与えようとするものである

あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う
もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば
わたしはあなたがたに会うと、主は言われる」
(エレミヤ記29章11・13節)


神のわたしたちに対するご計画は
平安と、将来と、希望を与えようとするものです
それを得るために
わたしたちがなすべきことは
ただ一心に神を求めること

単に奇跡を求めて
あるいは災いを恐れて信仰するのではなく
神に会い
平安と、将来と、希望を与えられるために
神のご計画の中を歩んでいけるよう
こうして祈り求めていくのです

人生はぐずぐず思っていても何も始まりません
自分の生まれや境遇を嘆いたとて
それで何が変わるでしょうか
人は神が見えていないから不安になり
ぐずぐず思うようになるのです

イエスは彼に向かって言われた
『わたしに何をしてほしいのか』
その盲人は言った
『先生、見えるようになることです』


こうしてバルテマイは肉体の目とともに
神を見ることのできる目も開かれ
その後、イエスに従って行きました

希望が与えられれば
人はどんな境遇でも生きていくことができます
今、不安の中にある人も神に祈り求めて
そこから立ち上がって行きましょう

「兄弟たちよ、あなたがたが召されたのは
実に、自由を得るためである
ただ、その自由を、肉の働く機会としないで
愛をもって互いに仕えなさい」
(ガラテヤ人への手紙5章13節)


かつて不安の中に閉じ込められていた人も
神に召され、救われることにより
自由を得る者とされました
もはや世の中の価値観や欲から自由になったのですから
再びそういうものの中で不自由の身にならないよう
神の求めるものは何なのかを悟り
お互いに神の愛をもって進んでいきたいものです



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