今週のみことば


11月5日

「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ
あなたがたは、わざわいである
杯と皿との外側はきよめるが
内側は貪欲と放縦とで満ちている
盲目なパリサイ人よ
まず、杯の内側をきよめるがよい
そうすれば外側も清くなるであろう

偽善な律法学者、パリサイ人たちよ
あなたがたは、わざわいである
あなたがたは白く塗った墓に似ている
外側は美しく見えるが
内側は死人の骨や
あらゆる不潔なものでいっぱいである
このようにあなたがたも
外側は人に正しく見えるが
内側は偽善と不法とでいっぱいである」
(マタイによる福音書23章25-28節)

信心深い敬虔な姿を装いながら
実は神のためではなく
自分の名誉のために常に外見をつくろおうとしているパリサイ人は
神によってその心の中を見透かされていました

心の中に傲慢な思いを持つほど
人は自分を飾ろうとし
自分を大きく見せることに熱心になります
こうなると
神の前に自分を低くすることは難しく
聖書の教えを素直に聞き入れることも困難でしょう

自分を愛することが中心になると
物事を正しく見ることができません
人からどう見られているのか
そういうことばかり気をにしていたのでは
今するべきこと、言うべき事の判断を誤ります

所詮人間は完全ではなく
自分で一生懸命装ってみたところで
結局内側に秘めているものが表に現れてくるものです
ならばまず内側を清めるべきと
聖書は常に教えています

「しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに
いつもとどまっていなさい
あなたはそれをだれから学んだか知っており
また幼い時から、聖書に親しみ
それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救いに至る知恵を
あなたに与えうる書物であることを知っている
聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたものであって
人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である
それによって、神の人が
あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて
完全に整えられた者になるのである」
(テモテへの第二の手紙3章14-17節)

いかにして人はその内側を清められるのかは
聖書に記されていて
聖書のみことばを学ぶことで救いに至る道を知り
神の前に完全に整えられた者となるべく
正しい歩みを教えられるのです

よって、わたしたちは常にみことばに親しみ
教会を通してみことばの持つ意味を教えられ
そこで得た確信をしっかり保ちながら
世の中の惑わしに負けることのないように祈ります

こうして
いつも聖書から正しく学ぶことが重要で
みことばが生活の上に成就することで信仰も育っていきます
聖書は決して飾りの言葉ではなく
信じる人の中で生きて働く言葉であることを
わたしたちはしっかり覚えておかなくてはなりません

「若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか
みことばに従ってそれを守るよりほかにありません

わたしは心を尽くしてあなたを尋ね求めます
わたしをあなたの戒めから迷い出させないでください

わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように
心のうちにみことばをたくわえました

あなたはほむべきかな、主よ
あなたの定めをわたしに教えてください」
(詩篇119篇9-12節)

”若い人”とは”未熟な人”とも言えるでしょう
未熟であるほど自分の間違いを悟らず
相手を言い含めて勝ち誇った気持ちになることがあります
ところが経験を積んで後
自分の愚かさに気付いた時には
実は負けていたのは自分の方だったとわかるでしょう

神の前に自らを低くしていくのは本当に大切なことです
神に導かれて行かないで
どうやって人は正しい道を知ることができるでしょうか

人目を気にして
外観ばかりにこだわる信仰は真の信仰ではありません
偽善者パリサイ人の姿は
決して他人事ではないのです

心が変われば外見も必ず変わります
挑戦的なものを持っている人は顔つきも険しくなり
柔和な人の顔はいつも穏やか

神によって内側を変えられていく為に
常にみことばに触れ
信じて祈っていきましょう
求めれば
神さまはどのような人の心も変えてくださいます




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