今週のみことば


11月19日

「イエスは彼に言われた
『お帰りなさい。あなたの息子は助かるのだ』
彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った
その下って行く途中、僕たちが彼に出会い
その子が助かったことを告げた」
(ヨハネによる福音書4章50-51節)

自分の子どもが死にかかっている役人が
イエスのもとにやってきて
その子を治していただきたいと願いました
役人は子どもが死なないうちにはやくイエスに来て欲しいと思いましたが
イエスの答えは
『お帰りなさい。あなたの息子は助かるのだ』
というものでした
この言葉を信じて役人は帰りましたが
その時間にちょうど子どもは癒されたことが後でわかります

目の前で何かそれらしいことが起きなければ
人はなかなか信じることはできないものです
『お帰りなさい。あなたの息子は助かるのだ』との言葉のみで
子どもが助かることを確信するのは難しいと思われますが
役人は素直に言葉に従いました

「さて、信仰とは
望んでいる事がらを確信し
まだ見ていない事実を確認することである」
(ヘブル人への手紙11章1節)

神の言葉をそのまま受け入れることは
信仰なくしては難しいことです
そこにはややこしい理屈はなく
必要なのはただひたすら神に希望を置いていく姿勢です

聖書のみことばを通して
また
他の人々に起こる神の業を見て
あるいは
これまで自分が生かされてきた経緯を思い返しながら
どんな時にも神さまは必ず助け導いてくださるのだと
自ら心を燃やしていくこと

「だから、わたしたちは、はばからずに言おう
『主はわたしの助け主である
わたしには恐れはない
人はわたしに何ができようか』」
(ヘブル人への手紙13章6節)

人生には色々なことが起きてきます
聖書にも
良いことも書いてあれば悪いことも書いてありますが
それは
世の中にはその両方があるからで
わたしたちはどうすればよいのかを教えられるためなのです

そして
どんな時にも必ず神の助けがある
八方ふさがりの状態となっても
それでも信じる人は幸いです

「だから、わたしたちは
あわれみを受け
また、時機を得た助けを受けるために
はばかることなく
恵みの御座に近づこうではないか」
(ヘブル人への手紙4章16節)

神に希望をおく人には
”時機を得た助け”つまり、ちょうどいい助けがあるのです
そのために
積極的に神の前に出ること
教会に集うことを第一としていきましょう

いったい
人を恵み、命を与えているのはどなたでしょうか
どんなに立派に見える人であっても
死を克服できる人はなく
人間は絶対者とはなり得ません

人間にはできることとできないことがあります
できないことは素直にできないと認めて
神の前に謙っていく姿勢を持ち
日々生かされていることに感謝していきましょう

聖書にはなぜ?と思うような記述があるように
人生にもなぜこんなことが?と思うようなことがあります
まじめに正しく生きていても
一時的に捨てられたような状態になることもあるでしょう
それでも
決してそれでダメになってしまうわけではありません

エデンの園を追われたアダムとエバは
ものすごい試練の中で惑わされたのではありませんでした
彼らは何不自由ない立場に置かれながら
その心の隙をつかれたのです

幸せだから神を見上げるわけではなく
困難の中にある時こそ
よりいっそう神を求め
その本質に触れていくこともできるというものでしょう

死にかけていた子どもが癒されたのを知り
役人もその家族もみなイエスを信じる者となりました
家の中がすべて神を信じる状態になったように
わたしたちの心の中からも不信を取り除きたいものです

神の導きには意外性がありますが
それらをすべて受け入れることができますように
信仰をかたくもっていきましょう



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