今週のみことば


1月13日

「イエスは彼らに『かめに水をいっぱい入れなさい』と言われたので
彼らは口のところまでいっぱいに入れた」
(ヨハネによる福音書2章7節)


ガリラヤのカナで婚礼が行われ
そこにはイエスも招かれていました
やがて宴の途中でぶどう酒がなくなったため
イエスはしもべたちに6個の石の水がめいっぱいに水を汲んでくるよう命じます
彼らはその言葉に従って
水がめの口までいっぱいに水を満たして運びました
するとその水は料理長のところへ運びこまれる途中に
上質のぶどう酒へと変っていたのでした

『かめに水をいっぱい入れなさい』と言われた時
どこまでが”いっぱい”なのかは個人の判断によって異なりますが
ここでしもべたちは水がめの口まで入れたということは
その限界ぎりぎりまで入れて運んだということ
つまり、自分のできる限りのことを行ったわけです

水がめに入れる水が多ければその分重さも増し
運ぶのにも辛くなる
もし少しでも自分が楽をしようとすれば
それもできたかもしれない
しかし彼らは”口まで”いっぱいにしたことは
わたしたちが教えられるべきところです

「天が下のすべてのことには季節があり
すべてのわざには時がある」
(伝道の書3章1節)


人生にはすべてのことに時があり
ここというツボがあります
幸いを得るために今するべきことは何なのか
自分に与えられた使命に如何に忠実であるか
そういったことを常に念頭におきながら
日々の務めを果たしていきましょう

同じ仕事をこなすにしても
例えばペンキを塗る作業において
手っ取り早く表面だけ塗る方法もあれば
下地からきちんと整えて
仕上がりや耐久性のことまで考えた方法もあります
いいかげんな仕事をすればその時は楽ができますが
信頼されなくなるなど、失うものも多いです

目先の欲に捕らわれることなく
今どうするべきかを教えられるために必要なのは
常にイエスさまと共にあることです
カナの婚礼では
そこにイエスがおられたことで
新郎新婦は恥をかかずにすんだばかりか
後から上質のぶどう酒を出したと誉められました

「キリストは死人の中からよみがえらされて
もはや死ぬことがなく
死はもはや彼を支配しないことを知っているからである
なぜなら、キリストが死んだのは
ただ一度罪に対して死んだのであり
キリストが生きるのは神に生きるのだからである
このようにあなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり
キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを認めるべきである」
(ローマ人への手紙6章9-11節)


”キリストの死にあずかるバプテスマ”を受けたわたしたちは
今はもう罪に対して死んだ者であり
キリストと共に生きています
生きるために与えられる霊の糧はみことばであり
日々の祈りは呼吸です
ですから
欲に負けないで
自分の使命に忠実であるために
みことばを読むことや祈りの時は欠かせないのです

さまざまな試練や惑わしがあろうとも
常に祈って正しい道を歩んでいくことができますように
そして新しい週も
平安と喜びが与えられる日々でありますように・・




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