今週のみことば


1月14日

「イエスは彼に言われた
『きょう、救いがこの家に来た
この人もアブラハムの子なのだから
人の子が来たのは
失われたものを尋ね出して救うためである』」
(ルカによる福音書19章9節)


イエスがエリコの町に入ってこられた時
取税人のかしらでお金持ちのザアカイは
イエスを見ようと先回りをして桑の木に登りました
彼は背が低かったので
そのままでは群衆にさえぎられて
見ることが出来なかったからです

そんなザアカイに目を留められたイエスは
彼の家に行く約束をします
しかしザアカイは
その職権を乱用し不正な取立ても行っていたのでしょう
そんなザアカイの家にイエスが入ることについて
人々は
『彼は罪人の家に入って客となった』
と、文句をいいました

こうしてイエスを迎えたザアカイは
その心を変えられて
自分の財産を貧しい人に施し
今までの不正も4倍にして償う約束をします

人々から嫌われ
神の救いからは遠いように見えるザアカイのような人にも
イエスの言葉は心に響いたのでしょう
そうでなければ
たとえ人に嫌われたとしても
自分が暮らすにあり余るほどの収入の道を
自ら放棄する気持ちになるのは難しい

人はお金に非常に弱いです
お金の道をとるか、神の道をとるか
そこで潔く神の道を選ばせるのが
神の不思議な導きであり
また
ザアカイ自身の求める気持ちによるところもあるでしょう

何とかしてイエスを一目見よう
そのために桑の木に登ること
そして
イエスに声をかけられて大喜びする様子
お金は豊かでも心貧しく寂しい彼が
一生懸命求めている姿がそこに見受けられます

どのような人であっても
神の救いを必要としない人はこの世に誰もおりません
そして
どのような人でも救おうとしてくださる神の愛を
わたしたちは自らもまた手を伸ばして
求めていかなくてはならないのです

「わたしたちは見えるものによらないで
信仰によって歩いているのである」
(コリント人への第二の手紙5章7節)

世の中で一番大切なのはお金ではなく心だと
一般的にも言われていることではありますが
そういうことを見て聞いて
なるほどとは思うけれど
現実にそのような方向へ踏み出すことは
神の助けがなくては難しいでしょう

人には欲の心がありますから
教えられてもなかなか素直に従えません
だからこそ信仰が必要なのです
信仰があれば
正しい道に勇気をもって踏み出すことが出来る
潔くもなれるというものです

「神は、その豊かなあわれみにより
イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ
それにより
わたしたちを新たに生まれさせて
生ける望みをいだかせ
あなたがたのために天にたくわえてある
朽ちず汚れずしぼむことのない資産を
受け継ぐ者として下さったのである」
(ペテロの第一の手紙1章3節)

洗礼と聖霊の救いによって
新たに生まれたわたしたちは
同時に生きた望みを与えられています

人にとって死は確かに怖いものですが
もっと怖いのは希望を失うことでしょう
自分が生きていく上に頼りとしているもの
もしそれが目に見えるもので
いつか消えていくものならば
その時希望も失せてしまいます
しかし
目に見えない神を頼りとしているなら
希望は永遠に失せることはありません

ザアカイは生きた望みの道を選んだのでした

この寒い時期にあっても
土の下では植物が春に向けて
しっかりと芽が伸び始めているように
見えないところに神の業が推し進められています

人を見ればつまづきも多いです
どうぞしっかりと神を見上げて
希望に満ちた日々を歩んでいきましょう




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