今週のみことば


1月20日

「種まきはみことばをまくのである
道ばたにみことばがまかれたとは、こういう人たちのことである
すなわち、みことばを聞くとすぐにサタンがきて
彼らの中にまかれたみことばを奪っていくのである
同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである
みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが
自分の中に根がないので、しばらく続くだけである
そののち、みことばのために困難や迫害が起ってくると
すぐつまづいてしまう
また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである
みことばを聞くが、世の心づかいと富の惑わしと
その他色々な欲とが入ってきてみことばをふさぐので実を結ばなくなる」
(マルコによる福音書4章14-19節)


ここは信仰者の姿を、始めは”種まきのたとえ”で語り
次にその意味を解き明かしているところです
多くの人に同じように聖書のみことばが語られても
その心に響かないままの人もありますし
一時的に喜んで受け入れても
何かあればすぐに信仰を止めてしまう人もあります

結局のところ、もし”信仰の根”がないなら
表面的な熱心で信仰生活を続けることは難しい
聖書のみことばはその人にとってすべて都合のいいものではなく
むしろ自分の心を省みて
改めるべきところを指摘されるのですから
自分にとって都合の悪いみことばを拒絶してしまう場合もあるでしょう
ただ単に”ごりやく”だけで信仰をしようとすると
陥りやすいパターンです

また、世の間違った価値観から離れることができず
”神さまに立つ”のだと思いながら
実はいつまでも人を恐れていたり
あるいはお金や欲に引きずられていく人も
結局はみことばがその人の中で生きてこないため
良い実を結ぶことができません

「ほかの種は良い地に落ちた
そしてはえて、育って、ますます実を結び
三十倍、六十倍、百倍にもなった
そして言われた
『聞く耳のある者は聞くがよい』」(8-9節)

世の中にはたくさんの誘惑があり
よほどしっかりとした信仰をもっていないと
「そしてはえて、育って、ますます実を結び」となっていくのは
かなり難しいことのように思えます
なぜなら
人の心は自分の力ではコントロールしきれないからです
だからこそ、人は救われなくてはなりません
そして、神の力を得ていかなければ
この世の戦いに勝利することはできないのです

「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである
人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った
芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた」
(マタイによる福音書13章24-26節)


しかしまた
救われたもののところにも
わざわざ毒麦という存在が置かれているというのです
毒麦は収穫の時までそのまま置かれ
つまりずっとわたしたちの側に置かれたままなわけですが
それは神の許しのうちにあるものですから
毒麦があるから嫌だといって逃げ出すこともできません

それでも
しっかりとした基礎の上に建てられた家が洪水で崩れないように
わたしたちがイエスさまという土台の上に信仰生活を営んでいくなら
どのような困難にも打ち勝つ力が与えられるのです

「わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が
何に似ているか、あなたがたに教えよう
それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている
洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても
それを揺り動かすことはできない
よく建ててあるからである」
(ルカによる福音書6章47-48節)


「毒麦のたとえ」のように
世の中には真理とは違う紛らわしいものが存在しています
せっかく良い麦としてまかれたはずなのに
正しく歩んでいるつもりが
いつの間にか惑わされて
自らが毒麦のようになってしまわないために
常に聖書のみことばの上に立った価値観をもち
やがて朽ちていく世の中のさまざまな欲ではなく
永遠に朽ちない神に望みをおいて
信仰生活をまっとうしていきましょう

身の回りには災いがあるから
だから家の中でじっと身を潜めていればいいかといえば
決してそういうことではなく
さまざまな戦いのあるこの世の中にも
わたしたちは神にあって前進するのです

何が何でもこうならなくてはとの思いを捨て
日々平凡に暮らしていることに感謝しつつ
与えられた道を進んでまいりましょう




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