今週のみことば


12月1日

「主人は彼に言った
『良い忠実なしもべよ、よくやった
あなたはわずかなものに忠実であったから
多くのものを管理させよう
主人と一緒に喜んでくれ』」
(マタイによる福音書25章21節)

ここは「タラントの例え」の話です
主人は3人のしもべ達にその能力に応じて
5、2、1タラントを預けて出かけます
主人が帰ってくるまでに
5と2タラントを渡された人は
それぞれ同じ額をもうけて主人に差し出しますが
1タラントを渡された人はそのまま土に埋めておいたので
なんのもうけもないまま主人に1タラントを差し出しました

先の二人に対して主人は言いました
『良い忠実なしもべよ、よくやった
あなたはわずかなものに忠実であったあったから
多くのものを管理させよう』

こうして彼らは2倍のものを持つことになりました
しかし
失敗をおそれて何の努力もしなかった人は
持っていた1タラントをもとられてしまいます

ここで主人は神のひな形であり
しもべはわたしたちです
わたしたちがいかに神に対して忠実であるべきか
また、どういうことをもって忠実というのかを
教えられるところです

1タラントをあずかった人は
主人の厳しい面だけを見て恐れています
その厳しさの中にも愛があるという認識がないために
ただ自分が怒られることばかりを心配して
主人に対して忠実であろうという心に欠けていました
本当に忠実であるならば
必ず何らかの行動に出たことでしょう

自分に与えられたタラント(能力や評価)の多少にかかわらず
それぞれがわずかなものに忠実であろうとするかどうかを
わたしたちは神より見られています

「小事に忠実な人は大事にも忠実である
そして
小事に不忠実な人は大事にも不忠実である」
(ルカによる福音書16章10節)


自分に与えられた道がたとえ理想通りでなくても
そこで精一杯やれることをやるのが大切で
自分のつまらないプライドを捨てて
踏み出していかなくてはなりません

こうして神に忠実であるために従おうとすることも
間違った価値観を持つ自分を悔いることも
あるいは
神を愛し、神の言葉に耳を傾けようとすることも
すべては
大切な信仰の行為(おこない)であり
この行為が正しい歩みにつながっていくのです

「何事も党派心や虚栄からするのではなく
へりくだった心をもって
互いに人を自分よりすぐれた者としなさい
おのおの、自分のことばかりでなく
他人のことも考えなさい
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを
あなたがたの間でも互いに生かしなさい」
(ピリピ人への手紙2章3-5節)


”信仰の行為”を人間的に考えると
どうしても見た目に立派なことをすることのように思われがちですが
その人がどんなにか神を慕っているかは
いちいち人に見せたり知らせたりする必要はありません
また
自分の正しさをことさらに強調する必要もないでしょう
本当に正しいことは神が明らかにされるからです
人の本心というものは神にしかわからず
人は見た目で人を評価するので
それによって自分は立派になったと勘違いをする場合も多々あります

しかし
今回述べている本当の意味での”信仰の行為”とは
そういう表面的なものをさすのではありません
まず救いにあずかることにより神のものとせられ
どんな人でも求める者には救いを与える神の愛に感謝し
その感謝に報いるべく
自らも神を愛し、隣人を愛し
どんな境遇にあっても前を向いて進んでいく力を上より与えられ
怖れず進んでいくことが大切です
こういった心がなければ
聖書のみことばは実行できないのです

教会に集い、祈り、黙々と日々の歩みを進めても
そこには人間的な評価は何もないでしょう
もし、人と人とを常に見比べ
勝手に優劣をつける習慣があるならば
そのこと自体が
神に対して忠実であろうとする心の妨げとなるのです

人には人それぞれの歩み方があります
自分に与えられたタラントは何なのか
それは神から導かれ教えられるものですから
人間的な思いや欲でもって
その道をふさいでしまいませんように

「また、信仰によって
キリストがあなたがたの心のうちに住み
あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより
すべての聖徒と共に
その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ
また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って
神に満ちているもののすべてをもって
あなたがたが満たされるように、と祈る」
(エペソ人への手紙3章17-19節)


聖書の中で一番怖れるべきことは
神を神としないこと
すなわち神を侮ることです
この福音を変えることは許されるものではありません
そして、福音を変えるとは
栄光を自分(人間)に帰することです

人は牧師であっても祝福を与えることはできません
ただ祝福を祈るだけです
祝福を与えるのはすべて神によるものであり
この領域だけは絶対に踏み込んではならないものです

目の前にそびえる大山も
神にあれば平地となる
そうなればどんなところでも進んでいけるのです

わたしたちの信じる天地創造の神は
自分で動くこともできないような偶像の神ではありません
その神に心を向けて
正しい信仰生活を歩みだしていきましょう



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