今週のみことば


12月3日

「わたしはぶどうの木
あなたがたはその枝である
もし人がわたしにつながっており
またわたしがその人とつながっておれば
その人は実を豊かに結ぶようになる
わたしから離れては
あなたがたは何一つできないからである」
(ヨハネによる福音書15章5節)

ぶどうの枝は幹につながっていることで生長し
実を結ぶことができますが
どんなに立派な枝でも
もし幹から離れればたちまち枯れてしまいます

わたしたちも
ぶどうの木であるイエス・キリストにつながっており
そうすることによって毎日生かされ
成長させられています
もし
自分の力で生きているのだと過信して自ら木より離れれば
平安も恵みも遠ざかってしまうでしょう

信仰とは
ちょうど植物の根のようなもので
表には見えなくても
その人を支えている重要な人生の土台です

信仰にはかならず見合った実が生り
その実によって
神の働きと助けを実感すること
神の栄光を世に示すこととなるのです

これは単に世の中で言う成功組になるという意味ではなく
如何なる立場におかれても動じない
常に神の平安と喜びに満たされ
どんな時にも望みを失わないで生きていく力を
神より与えられていくということです

かつてイスラエルの血統を誇りとして生きてきたパウロは
一切を捨て
キリストと共に生きる者となったことで
そういう人の誇りとするものの愚かさを知りました
血統の誇りは生きていく上においては一見好都合ですが
彼はそのためにキリストを迫害する立場にいたのです

「わたしは更に進んで
わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに
いっさいのものを損と思っている
キリストのゆえにわたしはすべてを失ったが
それらのものをふん土のように思っている」
(ピリピ人への手紙3章8節)

この世で人が望みとしているものは
実は空しいものです
人が生きていくに必要な備えは
必ず神がすべて備えてくださるとの約束があり
そのためにも人は
ぶどうの木につながっていなくてはならないのです

しかし
ただぶどうの木につながって安閑としていれば
それでいいというのではありません

「愛する者たちよ
あなたがたを試みるために降りかかってくる火のような試練を
何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく
むしろ
キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜ぶが良い
それはキリストの栄光が現れる際に
よろこびにあふれるためである」
(ペテロの第一の手紙4章12-13節)

人生に試練はつきものです
しかし
神につながる者の試練は
やがて神の栄光を見るための試練であり
その試練も神と共に通り過ぎることによって
いよいよ神の愛を知ることができるでしょう
そして
もし神以外のものに望みを抱いているならば
世の望みがいかに空しく
頼りとしていたものがいかに無力であるかを知るでしょう

「彼らは神を知っていながら、神として崇めず
感謝もせず
かえってその思いはむなしくなり
その無知な心は暗くなった」
(ローマ人への手紙1章21節)

神を知り
信仰しているつもりであっても
それが的の外れた信仰であるならば
真理が何かを教えられることがなく
その結果、実を結ぶこともないでしょう

ぶどうの木につながって
正しく神のみことばを聞き
自分の正しい歩みに生かすこと
これが最も重要なことです

いつの間にか
自分の価値観や都合に合わせた信仰をしようとしていないでしょうか
長い信仰歴のある人ほど
実は自己流の信仰スタイルに陥っている場合があります
耳に痛い言葉こそ受け入れて
自らを省みることも大切です

そのためにも
聖書に語られている事柄について常に真摯に向き合い
ぶどうの木につながる枝として
豊かな実を結ぶ者
神に用いられる恵みの器となることができますように




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