今週のみことば


12月10日

「彼は望み得ないのに
なおも望みつつ信じた
そのために
『あなたの子孫はこうなるであろう』
と言われているとおリ
多くの国民の父となったのである
すなわち、およそ百歳となって
彼自身の体が死んだ状態であり
また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも
なお彼の信仰は弱らなかった」
(ローマ人への手紙4章18-19節)

常識では”ありえない”神の約束について
アブラハムは信仰によって確信を強められ
その約束を疑うことをしませんでした

人にはできないことも神にはできる
それを堅く信じることで
彼はその信仰を正しいと認められ
約束どおりにイサクが誕生しました

このアブラハムと同様に
死人をよみがえらせ
病を癒し
天候を自在にあやつり
すべてを支配する天地創造の神を
絶対と信じるならば
アブラハムへの約束が成就されたように
わたしたちの上にも
神の約束は成就されるわけです

ところが
人は自分の経験の範囲内でしかものを見ることができず
多くの人にとって聖書には
経験の範囲外のことばかり記されているために
結果的に
”ありえない”との結論を自分で出してしまいます

神とは
人が考えるほど小さな存在ではありませんが
人は自分の考えの範囲内に神を押し込めて理解しようとし
自分なりの”小さな神さま像”を作り上げているのでした

心の中に抱く不信感は
神からすべて見透かされています
心の中で神を笑ったことを指摘されたサラは
神を恐れて
あわてて自分は笑っていないと否定しました
もちろんそんな言い訳は通用するわけもありません
これが人間の現実の信仰の姿でもあります

「さて、信仰とは
望んでいる事がらを確信し
まだ見ていない事実を確認することである」
(ヘブル人への手紙11章1節)

「それだから、心の腰に帯を締め
身を慎み
イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを
いささかも疑わずに待ち望んでいなさい
従順な子どもとして
無知であった時代の欲情に従わず
むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって
あなたがた自身も
あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい」
(ペテロの第一の手紙1章13-15節)

自分の体は自分のものだから
自分の思い通りにどうしようが勝手だとも言えるでしょう
しかし
あなたの体を造ったのは誰でしょうか
自分で自分を造り出した人があるでしょうか
わたしたちはみな造られた者です
確かに自分の人生は自分で自由に歩むことができますが
神の創造物にふさわしい生き方をすることこそ
人に最も求められていることです

誰もが一見自分の力で生きているように見える世の中で
なぜ神に立つべき事を教えられ
なぜ信仰すべきと教えられるのでしょう
人は人を信じようと思いつつも
現実には人の心はどんどん冷ややかになり
世の中これから良くなっていくどころか
ますます悪くなっていく兆しばかりが見えています
そんな混沌とした世の中で
わたしたちはいかに戦って生きていくのか
その戦い方を神から教わらなくては
どうやって平安を得ていく事ができるでしょうか

神の愛を内側に持っていると
この決して思うように行かない人生の中にあっても
毎日グズグズ思っていかなくてすみます
人に対して愚痴を言ったところで
所詮なんの解決にもなりませんが
神に訴えるところには必ず平安があります
そこに信仰の幸いがあるのです

「そして、希望は失望に終わることはない
なぜなら
わたしたちに賜わっている聖霊によって
神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」
(ローマ人への手紙5章5節)

ものごとが上手くいかない時には
しばしば自分の方向性が間違っている場合があります
そういう時には自分への警告として現実を受け止めるべきであって
他人が悪いとか
ましてや神さまが悪いという問題ではありません
自分が何か間違っているのかもしれないと認めることは
かなり勇気がいることで
それもまた信仰を要します
なぜなら
神にすべてをゆだねる気持ちがなければ
自分が固執している思いを断ち切ることは難しいからです

自分の頭の中だけの神さま像を作り上げたり
自分の狭い世界だけでものごとを判断しようとするのではなく
アブラハムの信仰に学び
常に希望をもって
神の平安の中を歩んでいきましょう




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