今週のみことば


12月15日

「三日目にガリラヤのカナに婚礼があって
イエスの母がそこにいた
イエスの弟子たちもその婚礼に招かれていた
ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った
『ぶどう酒がなくなってしまいました』
イエスは母に言われた
『婦人よ、あなたはわたしとなんの係わりがありますか
わたしの時はまだきていません』
母はしもべたちに言った
『このかたが、あなたがたに言いつけることはなんでもして下さい』」
(ヨハネによる福音書2章1-5節)

ここにおいてイエスと母マリアの関係は親子ではなく
イエスは神としての立場をとっています
すべての事には時があり
神のわざはちょうど良い時になされますが
それがいつどのような形でなされていくのか人にはわかりません
そこでマリアはしもべたちに言ったのでした
『このかたが、あなたがたに言いつけることはなんでもして下さい』

イエスはしもべたちに
『かめに水をいっぱい入れなさい』と命じたので
彼らはその言葉に従ってかめの口のところまで水を満たします
そして、料理長のところまで運んでいった時
そのかめの水はぶどう酒に変わったのでした
それも品質の良いぶどう酒に

婚礼という人生の分岐点において
イエスを招いていたことは
この新郎新婦にとって幸いでした
イエスの言葉に従ったしもべたちの忠実な行動のおかげで
新郎は恥をかかずにすんだばかりか
そのぶどう酒が良いものであったため
余計に誉められることになりました

石の水がめをわたしたちとするならば
その中を神の言葉で口まで満たす時
思いがけず幸いなものが生み出され
役に立つ者として用いられるようになる
そのために必要なのは
みことばに従い、心から労する素直な気持ちです

困難を乗り越える時には
途中辛さや苦しさが伴うことはあっても
神の力が働いて
最後に感謝へとつながっていくのです

「神の造られたものは、みな良いものであって
感謝して受けるなら
何ひとつ捨てるべきものはない」
(テモテへの第一の手紙4章4節)

ぶどう酒がなくなったからといって
水かめに水を汲んでくるのが一体何になるのか
それも”いっぱい入れなさい”という
自分にとって納得いくことだけを受け入れる人ならば
このイエスの言葉には到底従えそうもありません
しかし幸いなことには
しもべたちはマリアの言葉を覚えていて
言われた通りに行動していました

いにしえの預言者も、イエスの弟子たちも
みなわたしたちと同じ人間ですが
彼らは自分の名誉を求めることをしませんでした
”自分が祈るから事が成る”とは言わず
時に応じて神が与えるものを受け入れ
そこに神の御旨が成就しています

「それだから、神の安息にはいるべき約束が
まだ存続しているにもかかわらず
万一にも、はいりそこなう者が
あなたがたの中から出ることがないように
注意しようではないか
というのは、彼らと同じく
わたしたちにも福音が伝えられているのである
しかし、その聞いた御言は彼らには無益であった
それが、聞いた者たちに
信仰によって結びつけられなかったからである」
(ヘブル人への手紙4章1-2節)


同じように聖書のみことばを聞いても
それがもし信仰に結びつく聞き方でないならば
結果的に神の安息は与えられません
せっかく安息にはいる道が用意されていながら
自らの思いを重要視してその道を外れるのは
とてももったいないことです

「神のなされることは皆その時にかなって美しい
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた
それでもなお、人は神のなされるわざを
初めから終りまで見きわめることはできない」
(伝道の書3章11節)


自分はこれからどうなっていくのかと
人の心は不安に揺らいでも
神は常に不動です
夜空に輝く北極星を頼りに旅を続けるように
人生の羅針盤としての神を信じ
みことばに従って進んでいきましょう



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