今週のみことば


12月16日

「神にはなんでもできないことはありません」
(ルカによる福音書1章37節)



マリヤのもとにみつかいガブリエルが現れ
マリヤが聖霊によって身ごもったこと
生まれる子どもは”大いなる者””いと高き者の子”と唱えられることを告げると
彼女はそんなことがどうしてあり得るだろうかと驚きます

しかし
すでに親族のエリサベツに子どもが与えられていること聞き
「神にはなんでもできないことはありません」
との言葉をいただいたマリヤは
「わたしは主のはしためです
お言葉どおりこの身になりますように」

といって
その言葉を信じて受け入れました

神にはできないことはない
しかし
今わたしがこの身を若返らせたいと願っても
50歳を過ぎた者が20歳になることはできません
それでも
気持ちを若返らせることは可能です

冷静になって人生を振り返ってみる時に
せいぜい6割くらいが上手くいけば
それで十分というものではないでしょうか
それを上手くいかないことばかりに目をとめ
理想どおりにならなければ絶対許さないとばかりに神さまに不平を言うのは
恵まれない生き方です

感謝を数えれば心豊かになり
不満を数えれば心寂しくなる
それがそのまま人の気持ちの若さにも反映され
雰囲気にも影響するでしょう

結局のところ
”目に見える現われ”ばかりを追い求めていると
なかなか感謝に結びついていくことは難しく
神に焦点をあわせない信仰では
正しいこともわからないままです

「主は答えて言われた
『マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている
しかし、無くてならないものは多くはない
いや、ひとつだけである
マリヤは良い方を選んだのである』」
(ルカによる福音書10章41-42節)


イエスを家に招き入れ
そのもてなしのことに心奪われて
イエスの側にすわって話を聞いている妹マリヤにいらだつマルタは
人間的には良かれと思うことをやっていたのですが
それは神から見ると正しい選択ではありませんでした

人生の選択の岐路に立たされた時
完全に間違いのない選択は人間には不可能です
自分にとってこれこそ最良と思っても
後になってそれは間違いだったと気づくこともあるでしょう

正しい選択は
人の欲に立つのではなく
神に立って祈っていくところになされます
問題があればまず祈ること
はじめて教会を訪れた時のように
何もわからなくても無心に神を求め信じていくことです

「わたしは彼らに一つの心と一つの道を与えて
常にわたしを恐れさせる
これは彼らが彼ら自身とその後の子孫の幸いを得るためである」

(エレミヤ記32章39節)

「わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう
彼らはわたしの民となり
わたしは彼らの神となる
彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる」
(エレミヤ記24章7節)


わたしたちは神にあって
神を恐れ、信じて歩む時に
必ず幸いを得ると約束されています

自分の欲によって心暗くなる道ではなく
神より与えられる幸いな道を歩むために
必要なのは神のもとに帰ること

「わたしたちは生きるのも主にために生き
死ぬのも主のために死ぬ
だから、生きるにしても死ぬにしても
わたしたちは主のものなのである」
(ローマ人への手紙14章8節)


信仰に理屈を追求し始めると
何が正しいことなのか迷うことになりますし
神の前に無心になることもできません

わたしたちはすでに神のものであり
「神にはなんでもできないことはありません」
という全能の神によって生かされているのです

これからも
ただ神を信じ、恐れて進んでいきましょう
今まで与えられた数々の恵みを忘れることなく
感謝の道を歩んでいきたいものです




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