今週のみことば


12月17日

「それゆえあなたがたは深く慎んで
あなたがたの神、主を愛さなくてはならない
しかし、あなたがたがもしひるがえって
これらの国民の、生き残って、あなたがたの中にとどまる者どもと親しくなり
これと婚姻し、ゆききするならば
あなたがたはしかと知らなければならない
あなたがたの神、主は、もはや
これらの国民をあなたがたの前から追い払うことをされないであろう
彼らはかえってあなたがたのわなとなり、網となり
あなたがたのわきに、むちとなり
あなたがたの目に、とげとなって
あなたがたはついに
あなたがたの神、主が賜わったこの良い地から
滅びうせるであろう」
(ヨシュア記23章11-13節)

モーセに導かれてエジプトを出たイスラエルの民は
その後継者であるヨシュアに導かれて
約束の地であるカナンの地へと入っていきました
そこでは、神がイスラエルの周囲の敵をことごとく取り除いたため
イスラエル人は神から与えられたこの良き地に住み
この上ない安息を与えられました

モーセについで指導者となったヨシュアもやがて年老い
彼は最後にイスラエル人に向かって
今後も神の祝福を受けて平安な暮らしをしていくためにも
決して忘れてはならない重要な事柄を民の前に告げ知らせます
その内容は
自分達をここまで助け導いて下さった神を信頼し
これからもずっと神を深く愛し続けていくということ
そのためにも
滅ぼされた他の民の残りの人々と交わって
彼らの神々の名をとなえたり
それを拝んだりしてはならないこと
更に重ねて
神の戒めを離れて右左に曲がることが決してないように
というものでした

もしこの約束を破るなら
せっかく神が賜わったこの良き地から
イスラエル人は滅びうせるであろうと・・・

このヨシュアの遺言ともとれる説教は
今日わたしたちが信仰していく上に置いて
非常に重要なポイントです

わたしたちクリスチャンは
人生を歩む時
世の中の規格(価値観)ではなく
聖書の規格に基づいて生活します
これまでそうすることで恵まれ祝されてきましたが
聖書に反する声は常にわたしたちの周りに存在し
世の中の間違った価値観に引き込まれる危険性はいつもあります

聖書に疑いを持つことがなぜいけないかというと
もちろんそれは神の言葉に反するからではありますが
その疑いが針の先ほどのことであっても
やがて自分の心の中に腐れとなって広がっていき
大きな腐れになってしまうこともあるからです

人間は誰も100パーセントの信仰など持ち得るものではありませんから
それを保とうとする心も自ら整えようとしなくては
どんどん神に対する気持ちも落ちていくでしょう
困っている時には神を真剣に求めても
安息の地を与えられてふと気持ちがゆるめば
神以外のものに目を奪われる可能性も出てきます

こうなってくると不思議なもので
どんどん神から離れる方向へと
周りの状況が自然と動いていくものです

そんな時
わたしたちは今一度自らを省み
自分の原点を思い出してみる必要があります

「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった
なんの不自由もないと言っているが
実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者
貧しい者、目の見えない者
裸なる者であることに気がついていない」
(ヨハネの黙示録3章17節)

自分は一体いかなる者なのか
誰もみな裸で生まれ
元々なにも持っていない者でした
心貧しく、ものごとを正しく見る目も持たないで
ただ目の前の豊かさのみを追い求めている愚かな姿を
悔い改める時がきています

すべての人の罪を担い
救いを与えるために
神は人となってこの世に生まれてくださいました
そのクリスマスが
今年も近づいています

出エジプトの時からずっとモーセの近くで神の業を見てきたヨシュア
彼はモーセの下で常に神に忠実に従ってきました
そして自分が後継者となってからもずっと神の戦いを見てきて
神の神たることを
そして
神に従って生きることがどれほど重要であるかを
誰よりも強く実感していたことでしょう
そんな彼が最後に語り伝える言葉のひとつひとつを
わたしたちも自分へ語られている言葉として
真摯に受け止めていきたいものです



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