今週のみことば


12月24日

「時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから
あなたは口がきけなくなり
この事の起こる日まで、ものが言えなくなる」
(ルカによる福音書1章20節)

祭司ザカリヤと妻エリサベツの間には子どもが生まれず
ふたりはすでに年老いていました
そんな彼らのものとにつかわされた御使いガブリエルは
エリサベツが男の子を産むこと
そしてその子は
やがて神の前に大いなる者となることを告げましたが
ザカリヤはその言葉を信じることができませんでした

『どうしてそんなことがわたしにわかるでしょうか
わたしは老人ですし、妻も年をとっています』

これを聞いたガブリエルは
自分は神からつかわされた御使いであり
時が来れば必ず成就する神の約束を信じなかったがゆえに
ザカリヤは以後子どもが生まれるまで口がきけなくなると告げます

本当にザカリヤの口が閉ざされ
妻エリサベツがみごもって6ヶ月になるころ
御使いガブリエルはヨセフの婚約者であるマリヤに現れて言いました

『見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう
その子をイエスと名づけなさい
彼は大いなる者となり
いと高き者の子と、となえられるでしょう』

まだ結婚していないマリヤは驚きますが
ガブリエルの言葉を聞いて彼女は信じて言いました
『わたしは主のはしためです
お言葉どおりこの身になりますように』

にわかには信じがたいこと
自分としては一見都合の悪いこと
神のご計画には人の思いを超えたものがあります
自分の中で出した結論は
自分自身の結論であって
神のみ旨とは異なる場合も多々あるでしょう

そんな時
人は自分の出した結論にこだわって
『そんなことが起こるはずがない・・』と
ザカリヤのように神の言葉を否定する者でもあります
しかし
”時が来れば”
神の言葉は必ず成就するのです
マリヤは神の言葉を受け入れる姿勢を持っていましたから
自分にとって人間的には都合の悪いことも
『お言葉どおりこの身になりますように』と
素直に受け入れたのでした

『主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は
なんとさいわいなことでしょう』
(同章45節)

人生の中には
なぜ自分の身の上にこのようなことが起きるのかと嘆いたり
反対に自分にはなぜならないのかと情けなく思うこともあるでしょう
それらすべてを含めて
人の一生は神のみ旨のままに過ぎていき
”時が来れば”
今まで起こってきたことの意味を知ることにもなるのです

そのためにも
わたしたちは不平を思わず
嘆かず
必ずすべては幸いにつながるとの聖書の約束を信じて
まだ見ぬ未来に
神にあって希望を託していきたいものです

ガブリエルがマリヤに告げたとおり
彼女は聖霊によってみごもって男の子を産みました
この日を
世界中の人々がお祝いするのは
神が人の体を通って生まれ
自ら肉体を持つ者となり
(これを”受肉”といいます)
やがて
「血を流すことなしには、罪の許しはあり得ない」
(ヘブル人への手紙9章22節)
との律法に従い
神ご自身がいけにえとなって
十字架上で清い血を流され
こうして
万人の罪の許しのために
尊い神の御血を受ける洗礼が与えられたからなのです

もし
神の受肉と十字架がなければ
今日わたしたちには救いはありませんでした
それを思う時
このクリスマスがいかに有難い日であるかを
感謝せずにはいられません

毎年同じことを語っていますが
そういう意味においても
クリスマスを起点として
わたしたちはまたよりいっそう神に感謝し
神の言葉を受け入れやすい存在として
成長していきたいものです



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