今週のみことば


1月27日

「イエスが語っておられた時、あるパリサイ人が
自分の家で食事をしていただきたいと申し出たので
はいって食卓につかれた
ところが、食前にまず洗うことをなさらなかったのを見て
そのパリサイ人が不思議に思った
そこで主は彼に言われた
『いったいあなたがたパリサイ人は、杯や盆の外側をきよめるが
あたながたの内側は貪欲と邪悪とで満ちている
愚かな者たちよ
外側を造ったかたは、また内側も造られたではないか
ただ、内側にあるものをきよめなさい
そうすればいっさいがあなたがたにとって清いものとなる』」
(ルカによる福音書11章37-41節)


律法派のパリサイ人は
常に律法にのっとった行為をしなくては許されないと信じているので
イエスが昔からの風習に従わず
食事の前に手を洗わないのを見て驚きました

ここでは
いかにも信仰熱心なパリサイ人の行いは上辺だけのもので
彼らはちょうど
器の外側だけをきれいにしているすぎないことを指摘しています
実際に、信仰とは上辺の形を言うのではありませんから
外側だけ熱心を装うのは愚かなことです
せっかく神に造られた者でありながら
内側を清くすることを怠っていては
神に喜ばれるものではありません

同じく
イエスの弟子達が手を洗わずパンを食べたのを見て
パリサイ人が文句を言ったことに対しても
以下のように語られています

「あなたがたはみんな、わたしの言うことを聞いて悟るがよい
すべて外から人の中にはいって、人をけがしうるものはない
かえって、人の中から出てくるものが、人をけがすのである」
(マルコによる福音書7章14-15節)

人の口から入るもの
それが心に入ることはなく
腹の中に入ってやがて、体の外へ出て行く
よって
昔の人の言い伝えに従って
食物を食べる前に念入りに手をきよめなくても
どんな食物も人の心を汚すことはない

しかし
問題は人の心から出るものの方にあるのです

「人から出てくるもの、それが人をけがすのである
すなわち、内部から、人の心の中から、悪い思いが出てくる
不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、あざむき
好色、ねたみ、そしり、高慢、愚痴
これらの悪はすべて内部から出てきて人をけがすのである」
(同上20-23節)

思わず口から出る言葉には
その人の心が表れています
同じ口をもって
気分の良い時には神をあがめ
面白くなければその反対の言葉が出るかもしれない

結局、内側を磨いていないと
外側をいくら美しく見せかけていても
いずれボロが出るものです

信仰することを損得で考えていると
信仰生活はなかなか続きません
今こうしておいたら神さまはあとからこんなことをしてくれるだろう等
神の前にかけ引きをするのではなく
あくまでも大切なのは”神の前の良心生活”です

「神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え
あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ
すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである」
(コリント人への第二の手紙9章8節)


神さまは常にわたしたちを困ることのないように満たし
なくてならないものは必ず与えてくださいます
だからこそ今現在もこうして生かされているわけですが
すでにそうして与えられてきたはずの恵みを
一体どれほど意識し、記憶にとどめているでしょうか

すべての恵みを忘れることなく
常に神に感謝しておれば
自ずと自分を、損得勘定ではなく
”良いわざ(行為)”に富ませる方向にと
進ませることができるでしょう

しかし
常に恵みを数えることもせず
自分には何もないと不平ばかり言う人は
自分の中にある欲が自分をダメにしていることを悟るべきです

「わたしたちは神の作品であって
良い行いをするように
キリスト・イエスにあって造られたのである
神は、わたしたちが良い行いをして日を過ごすようにと
あらかじめ備えて下さったのである」
(エペソ人への手紙2章10節)


世の中には多くの惑わしがあり
たちまち得になる道を選択しようと思えば
それも可能でしょう
しかし
それは本当に神の前に正しい選択なのでしょうか
神さまは常に人の心を見ておられます
物事を正しく判断し
冷静に行動してまいりましょう




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