今週のみことば
1月28日
「ヤコブは言った
『まずあなたの長子の特権をわたしに売りなさい』
エサウは言った
『わたしは死にそうだ
長子の特権などわたしに何になろう』」
(創世記25章31-32節)
イサクの長子として生まれながら
長子の特権を軽んじたエサウは
弟ヤコブの持っている豆の煮物食べたさに
それを放棄してしまいました
その後
本来自分が継ぐはずだった神の祝福が
すでに弟のものになったと知った時
エサウはヤコブを憎んで殺そうと図ります
しかし
ヤコブは伯父の所へ逃げていき
そこで長年苦労を重ねつつも
神の大いなる祝福を受け
やがて兄のところへ帰ってきます
その時にはすでにエサウの怒りはとけていました
長子の特権を軽んじたエサウは
神の祝福も軽んじていたのです
一方
神の祝福を重要視するヤコブからは
信仰者がどんな時も神を第一とすべきことを
教えられます
目先の欲にとらわれていると
結局は大きなものを失い
何に中心をおいて生きていくのかによって
人生は変わります
自分の欲を満たすためだけの歩みは
神に喜ばれるものではありません
父イサクがどのように神の前に忠実に歩んでいたか
そのためいかに祝されてきたかを見ていれば
エサウはこのような失敗はしなかったでしょう
大したことではないと思っていることが
案外とても重要な場合があります
今という時はもちろん大切ではありますが
今だけを見るのではなく
将来の祝福を考えて
冷静な判断をしていきましょう
また
そうはいっても人生に失敗はつきものです
人間は”ミスをおかすもの”という前提の上に生きていて
失敗により何かを学び成長します
しかし
中には失敗から何も学ぶことなく
失敗に失敗を重ねていくケースもあります
それは
なおも目先の欲で物事を判断する時に陥りがちで
せっかく神が与えた教育の機会を
自分の捨てきれない固定観念によって
無駄にしてしまっているのです
歴代志下20章において
敵の大軍を前にヨシャパテ王は祈ります
『われわれはこのように攻めてくる大軍に当たる力がなく
またいかになすべきかを知りません
ただあなたを仰ぎ望むのみです』(12節)
窮地に立たされた時
人は自分の力のなさを悟ります
ここで潔く神を求めるものは助けられ
自分の力で自分を守ることに躍起になっていると
ますます自分の力のなさを知る事となるでしょう
これはすべて
神の栄光のあらわれるためです
わたしたちにとって一番大切なことは
気負うことなく
欲張ることなく
神の導きのままに
自分らしく生きていくことでしょう
自分が今ものすごくこだわって大切だと思っているものは
実は一杯の豆の煮物くらいのものかもしれません
自分らしく生きていくためには
神にあって
自分が生きるに必要な最小限のものさえあればいいのです
「おおよそ主にたより
主を頼みとする人はさいわいである
彼は水のほとりに植えた木のようで
その根を川にのばし
暑さにあっても恐れることはない
その葉は常に青く
ひでりの年にも憂えることなく
絶えず実を結ぶ」
(エレミヤ記17章7-8節)
水は生命の源=神です
どんな時も神によりたのみ
その水の潤しを与えられていれば
決して枯れることはありません
世の中は目まぐるしく変化していきます
それでも
周りの人に惑わされることなく
人それぞれの生き方があることを思い
自分に合った生き方を選択していくために
いよいよ信仰にたっていきましょう
神の祝福さえあれば
すべてのことは幸いへと導かれていきます
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