今週のみことば
2月4日
「しかし主はサムエルに言われた
『顔かたちや身のたけを見てはならない
わたしはすでにその人を捨てた
わたしが見るところは人とは異なる
人は外の顔かたちを見、主は心を見る』」
(サムエル記16章7節)
預言者サムエルが年老いた頃
その子ども達はイスラエルのさばきづかさとなりましたが
彼らは利に向かい、正しい道を歩みませんでした
そのためイスラエルの民は
自分達を助けてくれる王さまを求めるようになります
常に神に助けられながらも
神ご自身が彼らの上に王であることを認めようとはせず
目に見える人に希望を託そうとするイスラエルの人々
その要望にこたえて
サウルが王として立てられたのでした
しかし
サウルは神の命令に従わなかったため
神は彼を捨てて、次の王を選びます
新しい王は
エッサイの7人の息子のうちから選ばれることとなりました
サムエルはその長男エリアブを見た時
その容姿から彼が王にふさわしいと思いました
かつての王サウルも
誰よりも背が高い立派な体格の持ち主でした
ところが
神はサムエルに告げられました
『わたしが見るところは人とは異なる
人は外の顔かたちを見、主は心を見る』
そして
最終的に王として選ばれたのは
まだ少年のダビデだったのです
それでもサムエルは
神の言葉に従ってダビデに油をそそぎました
その後
サウルから命を狙われ続けたダビデは
彼を殺す機会はいくらでもありましたが
神から油注がれた者に対して
決して手を下すことはしませんでした
サムエルにしてもダビデにしても
自分の思いはそれぞれあったでしょう
それでも
如何なる時も神の言葉に従うことができたのは
その信仰によるものです
誰でも自分の心の中には自分の考えがあって
今まで生きてきた経験もありますから
その思いを変えろといわれても
なかなか変えられないのが現実です
どんなに助けられたとしても
感謝に感じない人は感じないし
教えられても教えられない
それでも信仰をもって自分が変わろうとする人には
従うことも可能になります
信仰の世界は
とにかく信じなければなにも始まらない
神さまがそのうち信仰を与えてくれるでしょうといって
自分では何もしようとしないのであれば
現状は変わっていきません
神という絶対の王がありながら
目に見える人の王を求めたことは
そもそもの間違いでした
イスラエル人は神を信じることが出来なかったので
王を求めたのです
ダビデの数々の勝利を見るとき
神を信じる人に与えられる恵みの大きさを教えられます
そこにあるのは難しい理屈ではなく
いかに神を信じているかということです
「王はその軍勢の多きによって救いを得ない
勇士はその力の大いなるによって助けを得ない
馬は勝利に頼みとならない
その大いなる力も人を助けることはできない
見よ、主の目は主を恐れる者の上にあり
そのいつくしみを望む者の上にある」
(詩篇33篇16-18節)
「主は馬の力を喜ばれず
人の足をよみせられない
主はおのれを恐れる者と
そのいつくしみを望む者とをよみせられる」
(詩篇147篇10-11節)
ただ自分の力を信じて生きていこうとする人を
神は喜ばれません
生きていく上においては
もちろんそれぞれの使命に忠実に努力することは必要です
しかし
決して自分の力で生きていると過信し
神を恐れ敬うことを忘れることがありませんように
自分の”ものさし”を絶対視していると
それが基準から離れている時には
誤った判断をすることとなります
1メートルの基準が常に定まっているように
人が生きる基準も聖書に定められている
いかに神を信じ
いかに恐れ敬い
いかに従っていくのか
それらはすべて聖書に記されているのです
神の隠れた力に気づき
その力を得て生きていくために
いよいよ信仰にたって
歩んでいきましょう
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