今週のみことば
2月10日
「ところが道を急いでダマスコの近くにきた時
突然、天から光がさして、彼をめぐり照らした
彼は地に倒れたが、その時
『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』
と呼びかける声を聞いた」
(使徒行伝9章3‐4節)
イエスを信じる者たちを迫害することに熱心であったサウロは
活動を強化するためにダマスコの近くまできた時
突然の天からの光によって目が見えなくなりました
『わたしはあなたの迫害するイエスである
さあ立って、町にはいって行きなさい
そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう』
一方、ダマスコにいたイエスの弟子アナニヤのところにも
イエスは幻となって現れました
そして、これからサウロを迎えに行くようにと告げます
アナニヤはサウロがどのような人物であるかを知っていたので
その言葉に従うことをいったん躊躇しますが
『さあ行きなさい
あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らのも
わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である』
との命令に従って出かけていきました
こうしてサウロはアナニヤに会い
バプテスマを受け
ここからイエスを信じる者となったのです
突然目が見えなくなり
一体どこへ連れて行かれるのかもわからないまま
イエスの言葉に従ってダマスコへと引かれていくサウロと
わざわざなぜ迫害者と会わなくてはならないのかという
疑問や不安を抱えてサウロのところへ行くアナニヤ
彼らはこの先どうなるのかということは何も知らされないまま
ただイエスの言葉に従って行きました
わたしたちの信仰生活の中で
感動するような劇的な出来事というのは
まずほとんど見ることはないかもしれません
それでも、日々歩んでふと振り返った時
すべてのことを神さまが無事に通り過ぎさせて下さっていることに
神の働きを実感し、感謝することが多々あります
目の前に自然と開かれる道は
人には先の先まで見通せるわけではなく
自分の欲や面子を優先すると
進みたくない場合もあるでしょう
それでも
神さまによって開かれていく道には
必ず幸いが待っています
神さまに愛があるならどうして先のことを教えてくれないのか
そんなつぶやきも聞こえてきますが
聖書によれば
いにしえの信仰者達もみなその行く末を知らされず
ただ、神に従うことで幸いに導かれることだけを教えられていました
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない
なぜなら、神に来る者は、神のいますことと
ご自身を求める者に報いて下さることを
必ず信じるはずだからである」
(ヘブル人への手紙11章6節)
「信仰によって、アブラハムは
受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時
それに従い、行く先を知らないで出て行った」
(同章8節)
人は自分の持っているものにこだわるので
なかなか面子を捨てることができません
しかし
クリスチャンは勝利するために生かされているのです
せっかくイエスの十字架があり
その元にそれぞれの重荷を下ろすべきなのに
なおも自分の欲や面子を抱えたままで生きようとするのは
神の前に正しい生き方ではありません
神さまは決して人に無茶を強要することはありませんが
人はそれに甘えるとやすきに流れるものです
何が正しいことなのかを知るために
常に神に心を向けて
その名を呼び求めていく人は幸いです
「しかしあなたがたは知るがよい
主は神を敬う人をご自分のために聖別されたことを
主はわたしが呼ばわる時におききくださる」
(詩篇4篇3節)
神は人の上辺ではなく心を見る方です
アナニヤにとってサウロが来ることは嬉しいことではなかったが
それでも彼は神の言葉に従いました
わたしたちの前に開かれる道も
一見嬉しくないものもあるでしょう
そこを祈って踏み出す時
あのサウロの心が180度変ったように
人が想像するのとは全く違った結果になることもあるのです
このように
一瞬にして事を変える神の力を信じ
神の言葉に素直に従って進んでいきましょう
<目次