今週のみことば


2月18日

「神の人エリシャのしもべゲハジは言った
『主人はこのスリヤ人ナアマンをいたわって
彼が携えてきた物を受けなかった
主は生きておられる
わたしは彼のあとを追いかけて
彼から少し、物を受けよう』」
(列王記下5章20節)

イスラエルに敵対するスリヤ王の軍勢の長ナアマンは
大勇士でしたが、らい病を患っていました
彼はイスラエルから連れて来られた少女によって
イスラエルには預言者があり
らい病をも癒すのだと聞かされ
スリヤ王の手紙を持ってイスラエルへと出向きます

ナアマンは
預言者エリシャが自ら手を述べてらい病を癒すのだと思っていました
ところが
エリシャ自身は家から出てこず
使いの者が代わりに言いました
『あなたはヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい
そうすれば、あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう』

この思いがけない指示に腹を立てたナアマンは
そのまま帰ろうとしましたが
彼のしもべの言葉で思い直し
素直にエリシャの指示に従って
ヨルダン川で7回身を洗いました
すると
彼のらい病はたちどころに癒されたのでした

神の業に感謝したナアマンは
エリシャにたくさんの贈り物を渡そうとします
しかしエリシャは受け取りませんでした

それを見ていたエリシャのしもべゲハジは
贈り物を惜しいと思いました
そこでゲハジは
エリシャに内緒でナアマン一行を追いかけ
エリシャからの使いということで嘘をついて
贈り物を自分のものとしたのです

何食わぬ顔でエリシャの元に立ったゲハジに
エリシャは詰め寄ります
『ゲハジよ、どこへ行ってきたのか』
彼は言いました
『しもべはどこへも行きません』
エリシャは更に追求します
『あの人が車をはなれて、あなたを迎えたとき
わたしの心はあなたと一緒にそこにいたではないか
今は金を受け、着物を受け
オリブ畑、ぶどう畑、羊、牛、しもべ、はしためを受ける時であろうか
それゆえ、ナアマンのらい病はあなたに着き
ながくあなたの子孫に及ぶであろう』

神の業を見たことのないナアマンは
エリシャの指示に怒って従おうとしませんでしたが
周りの人の助言に心を入れ替え
預言者の言葉に従うことによって
不治の病が癒されました

一方、ゲハジは
預言者の下で日々神の業を見ておりながらも
己の欲に負けて
エリシャが受け取り拒否した贈り物を
自分がこっそり取りに行きました
ところが
その心はすべて見透かされており
その結果
自ら災いをその身に招くこととなったのです

信仰をもつというのはなかなか難しいことですが
内心”こんなことをしても一体何になるのだ?!”と思いつつも
神の言葉に従うのと従わないのとでは
結果には雲泥の差があります

エリシャがナアマンに贈り物を断るのを聞いて
それを惜しいと思っても
ゲハジは欲を起こしてはなりませんでした
それを受け取らないことが神の御旨であったからです

誰の心にも欲はあります
しかし
世のものに希望を置くと最後にどうなるのか
ゲハジの姿はそのひながたです

生きていくには当然お金や物が必要ですが
そういうものに過度に望みをおき
神を忘れ
嘘をついてでも自分の欲を満たそうとする時
その道は決して幸いにはならないでしょう

「主よ、あなたの道をわたしに教えてください
わたしはあなたの真理に歩みます
心をひとつにして、み名を恐れさせてください」
(詩篇86篇11節)

祝福の道と、呪われた道
分かれ目に来た時
わたしたちは正しい道を選択できるでしょうか
ナアマンは元々信仰者ではありませんでしたが
ゲハジは預言者のしもべです
ずっと信仰を保って来たはずの人が
欲に負けて選択を誤る
それを見る時
ただ、救われているから、教会に行っているから
それで歩みに間違いがないとは言えません

「わたしは、きょう
天と地を呼んであなたがたに対する証人とする
わたしは命と死、および
祝福とのろいを
あなたの前に置いた
あなたは命を選ばなければならない
そうすれば
あなたとあなたの子孫は
生きながらえることができるであろう
すなわち、あなたの神、主を愛して
その声を聞き
主につき従わなくてはならない
そうすればあなたは命を得
かつ命を長く保つことができ
主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地に
住むことができるであろう」
(申命記30章19-20節)

わたしたちの前には
命に至る道と、死に至る道
祝福された道と、呪われた道が置かれており
そのどちらを選ぶも自由、、

最終的には神に望みをおいたナアマンと
反対に、最後にお金や物に望みをおいたゲハジには
神に焦点をあわせた人生を歩む大切さを教えられます

自分の欲による災いは、自身のみならず
その子孫にまで及ぶことを思うと
生きる姿勢は決してどうでもいいとはいえないでしょう

どんな人の人生にもさまざまな問題はあり
そんな中にあっても
”人生ってそんなに捨てたもんじゃない”と思って生きるのと
いつも何か足らないと不満を持ちながら生きるのとでは
そこには大きな差があらわれてきます

年をとるごとに
人は良くも悪くも変わっていきますが
神の前にいかに自分が低くなっていけるかは
穏やかに生きる秘訣です

いつまでも変わらない神さまに
いつまでも変わらない信仰をもち続け
幸いな道を選択することができますように。。




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