今週のみことば


3月10日

「ふたりの人がまだ寝ないうち
ラハブは屋上にのぼって彼らの所にきた
そして彼らに言った
『主がこの地をあなたがたに賜ったこと
わたしたちがあなたがたを非常に恐れていること
そしてこの地の民がみなあなたがたの前に
震えおののいていることをわたしは知っています』」
(ヨシュア記2章8‐9節)


ヨシュアはエリコを偵察するために
ふたりの使者をつかわしましたが
彼らはラハブという遊女にかくまわれたので
エリコの王より使わされた追っ手から
無事に逃れることができました

ラハブは
これまで神がイスラエルのためになしてきた奇跡を知っており
『あなたがたの神、主は
上の天にも下の地にも神でいらせられる』
と、神を恐れていました
そして、イスラエルの使者をかくまったことで
ラハブとその親族も命を助けてもらえるように頼みます

ふたりの使者はラハブに
イスラエルが討ち入ってくる時には
窓から赤い紐をたらしておくよう命じました
そしてこれが目印となり
ここに居るラハブと親族は助けられたのです

遊女という立場のラハブでしたが
彼女は神をおそれて正しい判断をしたため
その後の難を逃れ
やがてイスラエルのうちに住む者となりました

彼女は
職業的には人々からさげすまれる立場ではありましたが
神より与えられたチャンスを生かし
イスラエルの使者との約束を信じて
すぐに窓から赤い紐をたらしました

心から神をおそれ、信じる人には
必ず幸いがあるというのが聖書の約束です
それはその人が人間的に素晴らしいとか
そうでないということに関わらず
約束を信じることが重要なわけです

「あなたがたは鼻から息の出入りする人に
たよることをやめよ
このような者はなんの価値があろうか」
(イザヤ書2章22節)

人はともすれば
人間的に力のある人に寄りすがりたくなるものですが
それで本当に物事が上手くいくかといえばそうでもなく
本当の幸いを手に入れるためには
神により頼まなくてはなりません

信仰というものは漠然としたもので
目に見えるものがないため不安になることも多いものです
しかし
それがやがて不信となっていきませんように
わたしたちも神の約束を堅く信じ
幸いな道を歩んでいきましょう

人生は枝葉があり
失敗もすればつまずきもします
それでも
神を信じるこの信仰を中心の柱として
常にここを離れないように生きていきたいものです

「彼は望み得ないのに
なおも望みつつ信じた」
(ローマ人への手紙4章18節)


「彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことをせず
かえって信仰によって強められ
栄光を神に帰し
神はその約束されたことを
また成就することができると確信した
だから彼は義と認められたのである」
(同上20‐21節)

これはアブラハムについてのことですが
アブラハムだけのことではなく
今日神を信じるわたし達にも
同様に与えられた言葉です

今まで信仰生活を続けてきて
確実に言えることは
もし神さまがついていなければ
こんなことは起こらないというような神の証を
常に与えられながらここまできたということです

実際に目に見える確信は与えられなくても
神さまに導かれ、平安が与えられ、開かれた道を感謝して歩む
これが信仰の基本ではないでしょうか
ここへ人間の決めた難しいおきてが入ってくると
信仰生活はたちまち恵まれなくなります

聖書の中では、しばしばラハブのように
取るに足らないような人が用いられています
人間的な立場が立派な人だから恵まれるのでもなく
どのような立場の人でも
圧倒的な神の力を認識し
その力を信じる人が恵まれるのです

使者が帰ってすぐに
窓から赤い紐をたらしたラハブのように
素直になって
神の言葉を信じて進んでいきましょう




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