今週のみことば


3月18日

「そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら
イエスをののしって言った
『ああ、神殿を打ち壊して三日のうちに建てる者よ
十字架からおりてきて自分を救え』」
(マルコによる福音書15章29節)

さらに、祭司長や律法学者たちも嘲弄して言いました
『他人を救ったが、自分自身を救うことができない
イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい
それを見たら信じよう』

こうしてイエスをののしる人々は
イエスご自身が
”神殿を打ち壊して三日のうちに建てる者”であることや
”他人を救う”事実を知っています
しかし
彼らにとってはそれまでのイエスの奇跡の業よりも
今の十字架が重要問題でした

神であるイエスにとって
人々が言うように十字架から降りることは容易いことでしたが
それでは罪のない清い方が血を流すことによる
全人類の救いは全うされません
こうしてののしっている人も含めた全人類のための十字架であることを
当時誰も知る人はなかったのです
しかも
そのような嘲弄に対してイエスご自身からは何の弁解もなく
ただ、十字架による救いの約束だけが
そこに成就されていったのでした

さて
イエスが十字架にかけられる時には
ちょうど田舎からでてきてそこを通りがかったクレネ人シモンが
強いて十字架をかつぐ役割を負わせられました

とても楽ではない十字架を負う務め
それは今日わたしたちに与えられる試練にも似ていますが
後にシモンの家族はイエスを信仰する者となっていったことを思うと
十字架を負うことが
信仰を与えられるきっかけとなったことがわかります

多くの人が
イエスが十字架にかけられたことには注目しますが
十字架の前のことや
その後の復活には目を向けようとしません
それと同様に
人は自分の苦労ばかりを思い
それまでの恵みや後の幸いを見ようとしないのです
こうして
面白くないことばかりに目をとめて
自ら気持ちが腐っていくのでした

自分が勝手なことをしておいて
上手くいかなければ神さまのせいにすることも
残念ながら人にはよくあることです
そのような愚かな存在でありながら
変に誇りだけはもっていて
誇りを傷つけられようものなら
愚かであるがゆえに腹を立てる
そして
愚かなことを言い
愚かなことをしてしまう、、、

人にはいろいろな生き方があります
人の言葉に惑わされれば
間違った道を選択することもあるでしょう
しかし、わたしたちは
『あなたはわたしに従ってきなさい』
とのみことばに従って歩む者です
それは人には愚かと映るかもしれませんが
誰がどうしようと
『あなたは』とは個人に向けられたメッセージであることを理解し
人の言葉に左右されず
みことばに従って歩んでいきましょう

イザヤ書53章に記されているように
イエスご自身には人の慕うような見栄えはありませんでしたし
十字架にかかる屈辱も味わわれましたが

「主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ
試練の中にある者たちを助けることができるのである」
(ヘブル人への手紙18節)

だからこそ
人に必要な助けは必ず与えられ
わたしたちはそれによって神に栄光を帰するのです

信仰は個人にゆだねられたものです
一人一人が神に従うことを心に深く刻み
人と神の関係を常に近く保つよう努力していきましょう




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