今週のみことば


3月24日

「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい
繰り返して言うが、喜びなさい」
(ピリピ人への手紙4章4節)


自分の思いや願いを神に祈る時
人はそれが神の御旨の道であって欲しいと思ったり
あるいは
当然それがかなえられるべきとの信念から
何が何でもこうならなくてはならないと
自分の中で決め付けてしまう場合があります

もし自分の思いと神の御旨を混同すれば
願いがかなわなかった時には
当然疑問がわいてくるでしょうし
”神にあっていつも喜んでいる状態”には
なれそうもありません

でも、聖書には
”いつも神にあって喜んでいなさい”と記されています
また
続く11節からはこのように書かれています

「わたしはどんな境遇にあっても、足ることを学んだ
わたしは貧に処する道を知っており
富におる道も知っている
わたしは、飽くことにも飢えることにも
富むことにも乏しいことにも
ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている
わたしを強くして下さる方によって
何事でもすることができる」(11‐13節)

人は誰でも苦労のない人生を歩みたいと思い
そのために信仰している人も多いわけですが
聖書によれば
わたしたちは現実には
良くも悪しくもさまざまな境遇に置かれ
良い時も悪い時も
いつも神さまと共にその時を通り過ぎ
その経験の積み重ねによって
どのような境遇でも生きていける強さを
身につけていくことができるというのです

そういう「ありとあらゆる境遇に処する秘けつ」を得ることこそ
信仰生活の目的であり
これを得ることによって
「主にあっていつも喜びなさい」とのみことばも
その人の中に成就してくるのです

ただ漠然と自分で喜ぼうと思っても
単なるカラ元気では続きません
上手くいかない時には嬉しくないのは当然ですが
いかなる境遇におかれても
まず大切なのは神さまと共に踏み出してみることです
自分では絶対ダメと思ったことでも
踏み出すことで全く違う展開になることもよくあることなのに
実際には踏み出す前にあきらめてしまうことも多いのです

もし自分の思いを神の御旨と混同していると
自分の思いがならないことで
もう神の御旨もならなかったと勘違いしてしまいます
ということは
神の前に正しい判断ができていないわけで
自ら神の旨の道を閉ざしてしまいかねません
だからこそ
自分の思いや願いはもちろんそれを祈るにしても
絶対にそうならなければダメとか
決め付けてしまわないことが大切なのです

この世のものは
いかにも幸いなように見えて
実は人生の幸いを約束してくれるものではありません
今は成功者の道を歩んでいるように見えても
いつひっくり返ってしまうかわからないのが現実です

目に見える幸せにこだわり
それを追求していくのは
欲を追求することでもあり
手に入れれば傲慢にもなるかもしれません

また、人の欲は限りがなく
実際にその時の願いはかなっても
もうちょっとこうなれば、ああなれば、と
神さまに感謝するに至らないこともあるでしょう

人は本当に弱いものだと知っていれば
傲慢になることもないのですが
それを知るためには
少なからず試練も必要となってきます
その試練をどう受け止め
どう対処していくのか
信仰生活は
「ありとあらゆる境遇に処する秘けつ」
つかむための日々なのです
しかし
それはひとりで戦う日々ではありません

「このようにあなたがたは
主キリスト・イエスを受けいれたのだから
彼にあって歩きなさい」
(コロサイ人への手紙2章6節)


救われた者は神ご自身が共にいてくださるのですから
常に神と共に歩みながら
必ずすべての試練を乗り越えていくことができるのです
ですから
世の中にある空しい議論に惑わされず
キリストの知識によって生きる道を選んでいきましょう

節目の季節にあたり
新しい道に出発する人も多いことですが
今上手く行っているからこの先も安泰だとか
あるいは
上手くいかないからこの先もダメだとか
決して決め付けないことです

大切なのは神の前に常に謙遜であること
人生は何が起こるかわかりませんが
生きる秘けつを知っていれば
上手くいかないときにも感謝していくことができます

神の前にいつも喜んで歩む日々でありますように
前進していきましょう




<目次