今週のみことば


3月31日

「信仰によってアブラハムは
受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時
それに従い
行く先を知らないで出て行った」
(ヘブル人への手紙11章8節)


人は皆これから先の人生がどうなっていくのか
誰もわからないまま日々を生きています
目の前に開かれた道は
いかにも幸いなように見えるものもあれば
そうでないものもあるでしょう
アブラハムが行くべき地として与えられたところは
見たところは決して良い環境ではありませんでしたが
そこは神の祝福のある地でした

わたしたち信仰者にとっては
神の祝福こそが希望です
世のものはやがて朽ち果てていくけれど
神のものは永遠に保たれる
いにしえの信仰者はみな神の祝福に希望を置いて
どんな境遇にある時も
その信仰を守り続けていました

「わが義人は信仰によって生きる
もし信仰を捨てるなら
わたしのたましいはこれを喜ばない
しかしわたしたちは
信仰を捨てて滅びる者ではなく
信仰に立って、いのちを得る者である」
(ヘブル人への手紙10章38‐39節)

救われてもなお各々の立場や境遇は
そんなに変るものではないでしょう
しかし
聖書のみことばが日々生活に生きてくることで
確実に平安があるのは事実です
これが「いのちを得る信仰」であり
世の中にあるところの「お金や名誉を得る信仰」とは
根本的に求めるものが違います

「キリスト・イエスに属する者は
自分の肉を
その情と欲と共に十字架につけてしまったのである」
(ガラテヤ人への手紙5章24節)


救われるということは
根本的な価値観が変えられることであり
そうなるように自らも歩みださなくてはなりません

信仰は
その人の心を映し出す鏡のようなものです
そこにはありのままの姿があり
それとどう正直に向き合っていくかという課題が
それぞれに課せられるのです

「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ
まだ約束のものは受けていなかったが
はるかにそれを望み見て喜び
そして、地上では旅人であり寄留者であることを
自ら言いあらわした
そう言いあらわすことによって
彼らがふるさとを求めていることを示している
もしその出てきた所のことを考えていたなら
帰る機会はあったであろう
しかし実際、彼らが望んでいたのは
もっと良い、天にあるふるさとであった
だから神は
彼らの神と呼ばれてもそれを恥とはされなかった
事実、神は彼らのために
都を用意されていたのである」
(ヘブル人への手紙11章13‐16節)


目の前の欲を追いかけるのではなく
もっと良いもの「天にあるふるさと」を慕い
神に従う正直な歩みを教えられながら
日々の生活を整えていきましょう



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