今週のみことば


4月8日

「モーセは民に言った
『あなた方は恐れてはならない
かたく立って、主が今日あなたがたのためになされる救いを見なさい
きょう、あなたがたはエジプト人を見るが
もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう
主があなたがたのために戦われるから
あなたがたは黙していなさい』」
(出エジプト記14章13-14節)

モーセを指導者としてエジプトを出たイスラエルの民を
エジプトの軍勢が追ってきました
前は紅海、後ろはエジプトの軍勢
万事休すの状況に追い込まれたイスラエル人は
非常に恐れてモーセに詰め寄りました

『エジプトに墓がないので
荒野で死なせるためにわたしたちを携え出したのですか
なぜわたしたちを導き出してこんなにするのですか』

エジプトにおける奴隷の地位から開放されて
神の契約の地カナンへと向かって旅立ちしたにも関わらず
身に危険が迫るとすぐにパニックに陥り
神の助けを信じようとしない不信仰なイスラエルの民

かつて神の働きによって如何に恵まれてきたのか
その感謝もすぐに忘れ
常に目の前のことしか見ようとしない彼らに
モーセは神の言葉を告げ知らせます

『主があなたがたのために戦われるから』

その言葉の通り
目の前の紅海が分かれてそこに道ができ
イスラエルの民が通り過ぎた後には
追いかけてきたエジプトの軍勢の上に再び水が戻ってきて
彼らを海の中に飲み込んだのでした

逃げ場のない状況に追い込まれた時
すぐに騒ぎたくなるのが人間の心理です
しかし、信仰者は
すべては神が定めることとして
潔く進んでいかなくてはなりません

イスラエルの民とエジプトの軍勢の間には
神の使いと雲の柱が立ちました
そこで雲の柱はエジプト勢に闇をもたらし
イスラエルには夜を照らしました

夜が明けてからは
追うエジプト勢は常に神によって行く手を阻まれ
ついには
『われわれはイスラエルを離れて逃げよう
主が彼らのためにエジプトびとと戦う』
と言って、逃げようとし始めたのです

神が生きて働く様子は
イスラエルよりもむしろエジプトが察知していました
恵みを受けるものは恵みに気づかず
敵の方がかえってそれに気づいて恐れたのです

心がかたくなになると(不信仰に陥ると)
今の状況を冷静に見ることができなくなり
自分が何を言い
何をやっているのかわからなくなってしまいます
不安は人を
支離滅裂な言動に導いていくのです

どんな不安が襲ってきても
”すべては神さまがはじめとなって戦ってくださる”
との信仰を持っていれば
戦いに負けることはありません

わたしたちは
愚痴を言うために生きているのではなく
神の証のために立てられているのですから
神の潔きをあらわす者として
信仰をかたくもって進んでいくべきなのです

世の中の格言には素晴らしい言葉もありますが
聖書のみことばのように
人に命を与えるものではありません
確かに良い言葉は聞いたけど
現実にはできないこともたくさんあるでしょう
それが人間の弱いところです

だからこそ
神の助けを受けながら生きるために
聖書を土台とし、みことばに従って
信仰を養っていかなくてはならないのです

『あなた方は恐れてはならない
かたく立って、主が今日あなたがたのためになされる救いを見なさい』

神の業には時があります
時が来れば必ず成る
わたしたちは常にそれを見ながら進んでいく
幸いな者とされています
そのたびに
神が神であることを再確認しながら
より信仰を深めていくことが大切です

出エジプトしたイスラエルの民は
荒野を旅する間にも
ちゃんとマナや水を与えられ養われました

今日のわたしたちも
さまざまな試練のうちにあって
必ず必要なものは与えられ
養われています
大切なのはそれを知っているかどうか
感謝しているかどうか
覚えているかどうかです

戦いのうちにあっても
神の助けを感じ
感謝していく時
そこには常に平安が与えられます

信仰を何十年続けていようが
神さまなんかダメだ・・と思う不満材料を探そうと思えば
いくらでも見つけることはできるでしょう
その心に感謝を忘れれば
いつでもつまづきは訪れます

自分は自由だと思って生きている人も
多くは世の中のしきたりや縁起にがんじがらめになっていて
自由のようで自由ではありません
そういう不自由の中にある人に対して
わたしたちは神による本当の自由を証していく者です

しかしまた
ひとたび不安がやってくれば
エジプトに戻ろうとしたイスラエル人のように
神を捨て
世の不自由の中に戻ろうとするかもしれません

生まれたばかりのモーセは
命を救うために川に流されました
その身は川の流れにまかされるまま
やがてエジプト王女の水浴び場へと導かれたのでした
ヘブル人の子として殺される立場であったモーセは
神にその身をゆだねて
生かされ
用いられていきます

今この人生の流れがどこへ向いていっているのかわからなくても
神を信じる者には
そこが幸いな地であることは間違いありません
たとえ外側がボロボロの状態でも
神の愛を内に持っていれば
必ず生かされ養われるのです

「イスラエルよ聞け
あなたがたは今日、敵と戦おうとしている
気後れしてはならない
恐れてはならない
あわててはならない
彼らに驚いてはならない
あなたがたの神、主が共に行かれ
あなたがたのために敵と戦って
あなたがたを救われるからである」
(申命記20章3-4節)




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