今週のみことば
4月15日
「この律法の書をあなたの口から離すことなく
昼も夜もそれを思い
そのうちに記されていることを
ことごとく守って行わなければならない
そうするならば、あなたの道は栄え
あなたは勝利を得るであろう
わたしはあなたに命じたではないか
あなたの神、主が共におられるゆえ
恐れてはならない、おののいてはならない」
(ヨシュア記1章8-9節)
これは、モーセの死後
後継者として選ばれたヨシュアに
神が語られた言葉です
エジプトを出て荒野を旅してきたイスラエルの民は
ここからいよいよヨルダン川を渡って
カナンの地へと入っていきます
ところが
神が与えると約束したかカナンの地には
強い国民がいて、彼らは大きな人々です
そんな彼らと戦って
その地を勝ち取らなくてはならないのですから
そこには当然大きな不安があるでしょう
しかし
その地へとイスラエルを導いた神は
そこでの戦いにも勝利させてくださると約束しています
その時大切なのは
目の前にどんな大きな敵がいても
神が助けてくださると信じて踏み出す勇気で
約束どおり
踏み出せばその先は必ず勝利が待っていたのでした
人生にあって
大きな問題に直面することがあっても
そこには必ず神の助けがあります
わたしたちはただ神の前に自分を低くして
今まで教えられてきたみことばをこれからも信じ
それを守って行い
神の言葉から離れて右にも左にも曲がらず進むなら
これまでも
これからも
ずっと勝利の道を進むことができるわけです
さらに
ヨシュア記23章7-8節には
カナンの地に入って戦いの後
「あなたがたのうちに残っている
これらの国民と交じってはならない
彼らの神々の名を唱えてはならない
それをさして誓ってはならない
またそれに仕え、それを拝んではならない
ただ、今日までしてきたように
あなたがたの神、主につき従わなければならない」
と命じられています
そして
もしこの命令を破る時には
もはや神の助けはそこにはなく
”これらの国民と交じってはならない”
と言われつつも彼らと婚姻などすれば
彼らはやがて”わな”となり、”網”となり
イスラエルの民はせっかく神から賜わったこの良き地から
滅び失せていくであろう・・と
人の心の中には
神と世とを天秤にかけようとする心が残っています
本来ならばすべて取り除かなくてはならない情や欲は
人を神から離れさせ
自らを滅びへと誘います
「キリスト・イエスに属する者は
自分の肉を
その情と欲と共に十字架につけてしまったのである」
(ガラテヤ人への手紙5章24節)
「主に喜ばれるものがなんであるかを
わきまえ知りなさい」
(エペソ人への手紙5章10節)
人(自分も含めて)を喜ばせることを第一に考えていると
人のためにならないこともするようになります
虚栄心を満足させようとしたり
あるいは、ねたんだり恨んだりして
自ら正しい道を外れていくのです
キリストに属する者は
そういった情や欲を十字架につけてるために
洗礼により新たに生まれ変わったのですから
それ以降は
聖霊に導かれて正しく進む者でなくてはなりません
これは何も
世の中から顔をそむけて仙人のようになれというのではなく
自らをだめにしていく元となる心の思いを
取り除くようにと勧めているわけです
落胆することばかりの人生でも
その戦いに祈って勝利するたびに
神の証は加えられていきます
神に導かれるものには希望があり
小さなことにも喜びを見出すことができるのです
人は失うことには敏感でも
与えられた恵みには鈍感なものです
日々の小さな出来事を通して
神の業を楽しむ人生であると幸いです
小さなことに感謝しない人は
大きなことにも感謝できません
人の欲は
それほど限りないものです
冷静に考えたら何とかなる問題でも
もうダメだと自暴自棄になってしまう人の何と多いことでしょうか
死より恐るべきは希望を失うことです
人生明日のことはわかりません
だからこそ
神さまに希望を託し
すべてをおゆだねして生きるのです
「わたしはあなたの祈りを聞いた
あなたの涙を見た
見よ、わたしはあなたの齢を15年増そう
わたしはあなたとこの町とを
アッスリヤの王の手から救い
この町を守ろう」
(イザヤ書38章5-6節)
死に病にかかったヒゼキヤ王は
神の前に泣いて祈りました
その時、祈りは聞かれ
ヒゼキヤはさらに15年寿命が延びたのです
人の心を見る神に
ごまかしは通用しません
ヒゼキヤの涙は神に対する信頼の心
祈りはその心からの訴えでした
どこにいても何があっても
わたしたちには神が共にいませば恐れなし
そう信仰をかたく保ち
正しい道を歩んでいきましょう
<目次