今週のみことば


5月5日

「イエスは彼らをごらんになって
『祭司たちのところに行って、からだを見せなさい』
と言われた
そして、行く途中で彼らはきよめられた」
(ルカによる福音書17章14節)


ある村でイエスは10人のらい病人に出会いました
彼らは『イエスさま、わたしたちをあわれんでください』
と叫びましたが
イエスは彼らを直接癒すのではなく
『祭司たちのところに行って、からだを見せなさい』
と言い、彼らもその言葉に従いました
そしてその10人は祭司のところへ行く途中で癒されたのでした

この時イエスは彼らをすぐに癒しませんでしたが
これは人にとってのひとつの試練かもしれません
その場ですぐに答えの出ないもどかしさのために
不信感を持つこともあるでしょうし
癒す時にはこうあるべき、こうあって欲しいとの固定観念から
その言葉に従いづらいこともあると思います
それでも
今この目の前で何かが起るわけではなくても
わたしたちはただ祈って
前を向いて進まなくてはならないのです

神よりの救いは性別も年齢も関係なく与えられ
救われた後の歩みもさまざまで
その人に必要なことが備えられた道があります
そこで起ることを辛い試験のようにとらえると
ただ辛いだけになってしまいますが
希望をもって祈って進んでいけば
必ず幸いに到達すると聖書は教えています

「兄弟たちよ、わたしはすでに捕らえたとは思っていない
ただこの一事を努めている
すなわち、後ろのものを忘れ
前のものに向かってからだを伸ばしつつ
目標を目ざして走り
キリスト・イエスにおいて
上に召して下さる神の賞与を得ようと努めている」
(ピリピ人への手紙3章13-14節)


過去を振り返らず
過去は過去として
今はただ神に近づく道に向かって進む
どんなことがあっても神を信じ歩み続ける心を持つこと
それが信仰生活の基です

「わたしの愛する者たちよ
そういうわけだから
あなたがたがいつも従順であったように
わたしが一緒にいる時だけでなく
いない今は、いっそう従順でいて
恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい
あなたがたのうちに働きかけて
その願いを起こさせ
かつ実現に至らせるのは神であって
それは神のよしとされるところだからである」
(ピリピ人への手紙2章12-13節)


人の幸せは何かといえば
物質的に恵まれていても心寂しい人もあれば
何もなくても心豊かな人もあることを思うと
後者のような心境でいられることでしょう
それを神は実現させるのです

人生にあって
こうなりたいと思っている道と現実が違ったとしても
究極、毎日ご飯を食べて生きていけたら良いわけで
その境遇に順応させていただけることが幸いなのです

確かに、生きていくためにお金は必要ですが
あまりにもそれを求め、よりすがるようになると
人間そのものがおかしくなってしまいます

信仰者の歩みは
漠然とした夢の中を歩む人生ではなく
夢はあくまでも夢ではあるけれど
その一方で
厳しい現実の中にも夢のようなことが起ることもあるのが
また素晴らしいところです

10人のらい病人はみな癒されましたが
イエスの元に感謝を伝えに帰ってきたのはひとりだけでした
たとえ夢のようなことが起っても
それがすべて信仰に結びつくわけでもない
しかし
わたしたちは常にすべてのこと神に感謝し
従い進む者でありたいです

家庭で会話がなくなると家庭崩壊につながっていくように
神との交わり、会話、祈りがなくなると
信仰はダメになってしまいます
どんなことがあっても神を信じ、求め、祈っていく
その姿勢を常に保っていきましょう

神を愛し、神に愛され
守られながら進んでいく道こそ幸せの道
これほど素晴らしい道はありませんが
そこに価値を見出せるかどうかが問題なのです

「人の心には多くの計画がある
しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ」
(箴言19章21節)


目の前にある恵みの道を選ぶかどうかは
一人一人にまかされています
恵まれようという姿勢を持ち続けて
平安で幸いな人生を送らせていただきたいものです



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