今週のみことば
5月12日
「全地は同じ発音、同じ言葉であった
時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得てそこに住んだ
彼らは互いに言った
『さあ、れんがを造ってよく焼こう』
こうして彼らは石の代わりにれんがを得
しっくいの代わりにアスファルトを得た
彼らはまた言った
『さあ、町と塔を建てて、その頂を天に届かせよう
そしてわれわれは名を上げて
全地のおもてに散るのを免れよう』
時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て言われた
『民は一つでみな同じ言葉である
彼らはすでにこのことをしはじめた
彼らがしようとする事はもはや何事もとどめ得ないであろう
さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し
互いに言葉が通じないようにしよう』
こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので
彼らは町を建てるのをやめた
これによってその町の名はバベルと呼ばれた
主がそこで全地の言葉を乱されたからである
主はそれから彼らを全地のおもてに散らされた」
(創世記11章1-9節)
この前の9章にはノアの時代の洪水の記述があり
箱舟にのって助けられた人々に対して
神はこのように言われていました
『生めよ、ふえよ、地に満ちよ』
そして
今後再び洪水で滅ぼされることはないことが約束されていますが
彼らの子孫は神の御旨に反する行動をとろうとしたのです
バベルの塔を造り始めた目的は
自分達が全地のおもてに散らされることを免れるためでした
そこで使われた材料は神が与えたものではなく
自分達が造りだしたもの
その上、彼らは塔を天まで届かせようとしました
神の御旨を良しとせず
与えられたものに感謝せず
自らの力を頼りとして
神の領域にまで踏み込もうとする人々の行為は
結局、言葉を乱されることによってとどめられたのでした
神がわたしたちになされることは
すべてが嬉しいことではありません
しかし、わたしたちはそれをなされる神の心を思い
受け入れていくことが最も大切なことなのです
神を信じ、そのいましめに従っていけば
必ずその人生が守られ祝されると約束されているにもかかわらず
人間は自分を過信し
勝手な行動に走りがちです
そういう内側から起る思いはたちまちパン種のごとくふくらみ
心の中を支配するのです
「すべての訓練は、当座は喜ばしいものとは思われず
むしろ悲しいものと思われる
しかし後になれば、それによって鍛えられる者に
平安な義の実を結ばせるようになる」
(ヘブル人への手紙12章11節)
自分の人生設計は色々あれど
ほとんどの人は若い時に夢見たような
その通りの人生を歩むことはありません
自分の求めていたものの一部は得られても
他が得られないことから
どうしても不満が残るでしょう
このように
自分の努力である程度のところまでは行けても
一定のところから伸びなくなるのが現実で
”自己流”にはそれがよくあります
単なる自己流から飛躍するためにはコツがあり
それは教えられなくてはなかなかわかりません
自己流の理屈でもって生きる時には
自分を正当化するために自説をころころ変えなくてはならず
心も行動も安定しませんから
聖書の教えに従い
その基準の上に立っていかなくてはならないのです
「わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない
その戒めをきらってはならない
主は愛する者を戒められるからである
あたかも父がその愛する子を戒めるように」
(箴言3章11-12節)
どんな厳しいところに置かれても
イエスさまに手を引かれ、共に歩めば
そこには必ず平安が与えられます
お金の問題、食べる問題、人間関係の問題と
生きていく上での問題は常にあり
人生に試練はつきものですが
それはわたしたちが愛されているからであって
それを通していよいよ神に近づくための道が用意されているのです
一方、こうしてみことばを信じ、それに従って歩みつつも
その生活が安泰になるとほっとして
神以外のものに目が向き始めるのもよくあることでしょう
バベルの塔を造り始めた人々は
『われわれは名を上げて』
と、自分の名誉を求めていました
自分があたかも特別の存在であるかのように思うと
その傲慢が元で人生は崩れていきます
口では勇ましく「神のため」と言いつつ
実は自分の都合や面子のために神を利用する信仰もあるでしょう
天のエルサレム(天国)はわたしたちの心にあるものです
それに一体何の価値があるかを問われれば
なかなかピンとはこないかもしれません
しかし
天国にはすべてのものがある
わたしたちの中にはすべての幸いの基がすでに与えられ
神の与えて下さったものでもって
この人生の建築を完成させていくわけです
そこには
バベルの塔の建築材料のように
人が勝手に作り出したもの(思想や価値観)を用いるのではなく
聖書の教える基準に従っていくことが最も大切なのです
その聖書のみことばひとつとっても
人の好みに合う合わないがあるわけですが
すべてを受け入れる柔軟な心をもち
それを人生にも反映させていきましょう
例え人は自分で大した者だと思っても
現実には大した事はしていないものです
その心は良きにつけ悪しきにつけすべて神に見られている
そこで間違いを教えられれば悔い改め
自分を整えていくのが信仰生活です
さまざまな試練のある人生ではありますが
その心に「平安な義の実を結ばせるようになる」ために
人を恐れることなく
神を畏れて
粛々と従っていきましょう
<目次