今週のみことば
5月13日
「あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである
キリストも、あなたがたのために苦しみを受け
御足の跡を踏み従うようにと
模範を残されたのである
キリストは罪を犯さず
その口には偽りがなかった
ののしられても、ののしりかえさず
苦しめられても、おびやかすことをせず
正しいさばきをするかたに
いっさいをゆだねておられた
さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために
十字架にかかって
わたしたちの罪をご自分の身に負われた
その傷によってあなたがたは癒されたのである」
(ペテロの第一の手紙2章21-24節)
世の中に生きていくうちには
なぜ自分が・・・と
不当と思える苦難が襲ってくることがあります
もし自分が悪いことをしたのなら
そのためにひどい仕打ちを受けるのも当然ですが
正しく生きていてもなお苦しみを受ける時
神にあって耐え忍んでいくなら
これは神に誉められることです
わたしたちはそのように生きるために
神の元へと召し出されました
イエスがどのようにそのご生涯を歩まれたか
それはすべて
わたしたちが生きる模範であり
どのような時にも
罪を犯さず
偽りを語らず
復讐せず
すべては”正しい裁きをする方”つまり神にゆだねて
神がどのように裁いてくださるかを
祈って待っていくことを教えています
すべての人がその罪ある身に死んで
新たに正しい者として生まれ変わるために
全く罪のない完全な方が十字架にかかって血を流し
その血を受ける救い=洗礼が与えられました
そうしてひとたび救われた者は
すでに罪に死んだのですから
そこからはイエスの歩みを模範として
生きていかなくてはならないのです
しかし
自分から進んで苦労する必要はありません
もしそうするならば
苦労は自分が全て負うこととなります
一方
神から来る苦労は
重荷が必ず軽くされますから
歩みだしてみれば
恐れていたほど辛くはないものです
「すべて重荷を負うて苦労している者は
わたしのもとにきなさい
あなたがたを休ませてあげよう
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから
わたしのくびきを負うて
わたしに学びなさい
そうすれば
あなたがたの魂に休みが与えられるであろう
わたしのくびきは負いやすく
わたしの荷は軽いからである」
(マタイによる福音書11章28-30節)
「誰でもわたしについてきたいと思うなら
自分を捨て
自分の十字架を負うて
わたしに従ってきなさい
自分の命を救おうと思う者はそれを失い
わたしのために自分の命を失う者は
それを見いだすであろう」
(マタイによる福音書16章24-25節)
”神の祝福”とは何かといえば
多くの人が”目に見える物を得ること”だと思っています
人は見かけの派手なものや立派なものに目を奪われがちですが
実はそういう価値観を変えていくことこそ
神に求められていることです
聖書は常にそれを繰り返し教えています
これまでもっていた世の価値観を捨て
自分に与えられた試練を負いながら
黙々と神に従って歩む人生には
必ず神よりの恵みと祝福が伴います
それによって
わたしたちは
様々な悩み多いこの世の中にあっても
恐れることなく生きていけるのです
わたしたちは救われてもなお完全な者ではありません
そんなわたしたちの頭で
完全者である神を論理的に理解しようとしても
それはしばしば的が外れています
完全ではないからこそ間違いも起こるのです
神を知るために必要なのは
人の考えた理屈ではなく
聖書のみことばです
ひとたび罪に死に
神にあって生きる者の幸いを証する者となるために
聖書から正しい価値観を学んでいきましょう
<目次