今週のみことば
5月26日
「また天国は、ある人が旅に出るとき、そのしもべどもを呼んで
自分の財産を預けるようなものである
すなわち、それぞれの能力に応じて
ある者には5タラント、ある者には2タラント
ある者には1タラントを与えて旅に出た
5タラントを渡された者はすぐに行ってそれで商売をして
ほかに5タラントをもうけた
2タラントの者も同様にして、ほかに2タラントをもうけた
しかし、1タラントを渡された者は、行って地を掘り
主人の金を隠しておいた」
(マタイによる福音書25章14-18節)
その後、主人が帰ってきてから
5タラントと2タラント預かった人はそれぞれ自分の働きを主人に報告し
『良い忠実なしもべよ、よくやった
あなたはわずかなものに忠実であったから多くのものを管理させよう
主人と一緒に喜んでくれ』
と、主人から誉められました
しかし
何もせずただお金を隠しておいた人は次のように言い訳します
『ご主人様、わたしはあなたがまかない所から刈り
散らさない所から集める酷な人であることを承知していました
そこで恐ろしさのあまり
行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました』
主人はそのしもべを「悪い怠惰なしもべよ」と批難し
それならお金を銀行に預けておけば利子がついただろうに
そういうことも何も考えずただ自分の保身だけを思い
本来の使命に忠実であろうとする心のなさを指摘します
そして
その1タラントは取り上げられ
10タラントもっている人に与えられました
ここで3人のしもべは
”それぞれの能力に応じて”違う金額を預けられたわけですが
5タラントと2タラントの人は同様にその使命に忠実でした
このふたりはもうけた額こそ違っていても
その忠実さの故に主人から同等の評価をもらいます
『良い忠実なしもべよ、よくやった
あなたはわずかなものに忠実であったから多くのものを管理させよう』
ルカによる福音書16章10節には
「小事に忠実な人は大事にも忠実である
そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である」
とあります
人はまず自分と他人を見比べる癖があるので
与えられたものが人より少ないと
不公平感で心が卑屈になりがちです
また
自分の能力についても過大評価する場合があり
小さなことは「こんなことぐらい」と侮ってしまうこともあるでしょう
自分はできる、自分はもっと素晴らしい者だと思っていると
今、目の前に置かれた使命に忠実であることは難しくなります
聖書に教える「忠実」とは
人に対する表面的なものではなく
言葉にも行いにもすべてのことにおいて
神に対して忠実であるということ
与えられた使命が大きかろうが小さかろうが
目立とうが目立つまいが
そこで最善を尽くすことです
大きなものや華やかなものばかりに目が向き
そういうことのみに価値を見出すのではなく
もっと小さな事に対して心から忠実であるように
また
失敗を恐れ、人を恐れるあまり道を間違えないように
その心をみことばによって整えられていきましょう
小さなことに感謝し
忠実に勤めを果たす時
その人は神に喜ばれる者となることができるのです
「また、信仰によって、キリストがあなたの心のうちに住み
あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより
すべての聖徒と共に
その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ
また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って
神に満ちているもののすべてをもって
あなたがたが満たされるように、と祈る」
(エペソ人への手紙3章17-19節)
わたしたちの信仰生活の目的は
上記みことばのとおりです
何か素晴らしく華やかで大きなことが自分の身に起るためではなく
わたしたちの内側が
「神に満ちているもののすべて」で満たされるためなのです
救われたことによって
時々、自分は特別選ばれたのだから素晴らしい者だと
勘違いを起こす人もありますが
こういう変な選民意識を持つのは正しいことではありません
このような感覚を持っていると
自分のすることはすべて正しく
すべて上手くいくように思い込んでしまうからです
常に自分の間違いを正され
そのたびに悔い改めていく
そういう地道な信仰生活の積み重ねによって
わたしたちは
「神に満ちているもののすべて」を少しずつ得ていきます
その時には
自分の思いや都合を曲げてでも
神に従わなくてはならないこともあるでしょう
他の人は5タラントや2タラントなのに
自分だけが1タラントであることも良しとして
いかにそこで忠実に働くか
わたしたちの心は常に神によって見られているのです
「望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい」
(ローマ人への手紙12章12節)
どのようなところにおかれても
決して心腐ることなく
常に神に希望を置いて
コツコツと地道な信仰生活を送っていきましょう
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