今週のみことば
5月27日
「イエスは彼らに言われた
『なぜ、そんなにこわがるのか
どうして信仰がないのか』」
(マルコによる福音書4章40節)
イエスは町々を巡りながら
人々に天国について例え話で語りましたが
弟子達には
例え話の真意が解き明かされていました
こうして
たくさんの例え話と共に
真理について直接学んできた弟子達でしたが
その後
イエスと一緒に舟に乗った時
海が荒れて舟が沈みそうになったことを恐れて
パニック状態になりました
そんな状態の彼らに対してイエスは言われます
『なぜ、そんなにこわがるのか
どうして信仰がないのか』
どんなに大風が吹き、海は荒れても
イエスが共にいてくださるのだから大丈夫との信仰があれば
弟子達もパニックに陥ることはなかったでしょう
せっかく様々な教えを受けてきながら
その教えが自分の身についていないことが
この場で明らかになりました
自分の考えを土台として
自分の経験にみことばをあてはめ
それを心の中で練り混ぜていると
みことばの語る大切なポイントを見失います
わたしは救われているから
聖霊を受けているから
神が共にいて下さるから
と、口では言いながらも
もし現実の生活の中に神の働きを認め
平安を得ることができないなら
弟子達と同様
何か問題が起こればすぐにパニックに陥ってしまいます
そしてこう言われるでしょう
『なぜ、そんなにこわがるのか
どうして信仰がないのか』
使徒行伝16章においては
捕われて監獄に入れられているパウロとシラスが
そこでも神に祈りを捧げ
賛美を歌い続けていることと記しています
捕われの身となった自分を嘆き
これからどうなっていくのだろうとただ恐れていたのでは
神を賛美することはできません
人は追い詰められると
神を賛美するよりも罵りたくなるものです
必ず神の救いが来ることを信じ
待っている場所を天国としていくこと
たとえそこが監獄のような場所であっても
目の前の状況で右往左往するのではなく
すべてを神にゆだねて祈っていく姿勢は
神の求められている信仰の姿勢です
自分の力でああしてこうして何かを変えてやろうと思っても
現実にはなかなか思うようにいくものではありません
むしろ置かれた場所を天国として
そこで祈って歩むことが大切です
そのような思考に切り替えていく時
そこは本当に神によって天国とされていくのです
今、何かにつながれ、しばられていても
神にあればやがてそれも最高になる
しかし
今の状況を嘆けば嘆くほどサタンにつけこまれ
神の働きは阻害されていくのです
「そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して
賢くない者のようにではなく
賢い者のように歩き
今の時を生かして用いなさい
今は悪い時代なのである
だから、愚かな者にならないで
主の御旨がなんであるかを悟りなさい」
(エペソ人への手紙5章15-17節)
世の中の人は
すべてが神を信じているわけではありませんし
神を受け入れるわけでもありません
だからこそ
愚かな行動ととる者もあり
世の中はますます悪くなっています
そんな世の中に生きるわたしたちは
神の知恵を持って
注意して世の中を渡っていかなくてはなりません
そのためには
まず人生の土台を神に置き
お金や地位や名誉といったものに価値を置かず
神の心を持つ者として成長していきましょう
同じお説教を聞いても
人によって意味の取り方が異なる場合があります
それは
人生の土台にしているものが人によって異なり
表向きは神に土台を置いているつもりでも
現実は
なかなか離れられない他の土台も持っているからです
わたしたちのために常におもんばかって下さる神に対して
その心をどう受け止めるのでしょうか
もしそれが厳しい話になり
耳をふさぐなら
心の成長はありえません
何かあるたびにカッとなっていくのではなく
まずは一歩ひいてみて
お互いの心を思いやることが人間関係にも重要なように
様々な試練のうちにあっても
まずはお祈りして
これから神さまが如何に働いてくださるかを待ちましょう
今日まで様々な助けを与えられながら
信仰が成長しないのでは申し訳ない限りです
神の御心を知るべく
みことばを聞く力もアップしていきますように
本当の信仰には
そこに必ず喜びがついてきます
それはやがてその人の雰囲気ともなり
神にある人の幸いを証するものとなっていきます
神の福音を述べ伝えるためには
直接語って伝える方法もあれば
身を持って示す方法もあるでしょう
信仰信仰といいながら
実は口を開けば愚痴ばかりの生活では
それは何かが間違っています
人生の海がどんなに荒れていても
神ともにいませば恐れなし
新しい週も
みことばが生きる日々でありますように
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