今週のみことば


6月3日

「そういうわけで、これらの事を耳にして以来
わたしたちも絶えずあなたがたのために祈り求めているのは
あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって
神の御旨を深く知り
主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ
あらゆる良いわざを行って実を結び
神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである
更にまた祈るのは
あなたがたが
神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ
何事も喜んで耐えかつ忍び
光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせてくださった
父なる神に感謝することである」
(コロサイ人への手紙1章9-11節)


人生にあって勝利したいと願うなら
神の御旨は何であるかを知ることが一番重要です
惑わす者が非常に多い昨今
正しく物事を判断する目を養われなくては
大変なわなに陥る危険性はどこにでもあり
神の知恵を持って対処していかなくては
見せ掛けの勝利者となる道に向かってあくせくするだけです

”神の祝福”とは
目に見えることばかりではありません
わたしたちにとって一番大きな祝福は”平安”です
神よりの平安さえあれば
病気でも、貧しくても、問題が山積みの毎日でも
その中で幸いを味わうことができます

目に見えることばかりを望む生活は
自分の欲から出ているものであり
それが”主のみこころにかなった生活”といえるのかどうか
もうひとたびよく考えてみましょう

常に自分の欲を祈りとし
「私はこうならなくては祈りがきかれたとは認めない」
などと思うことは傲慢な信仰です
”自分はもっとこうあるべき”との欲を捨てることは
”己に死ぬ”ことで
あくまでも神によって開かれる道を黙々と進むこと
そうして
いつか振り返った時
一時的な失望もいつしか幸いへと転じ
これは自分の力によるのではなく
神の力によるのだとの証がそこに伴う
それこそが神の御旨の道と言えるでしょう

だからこそ
信仰は短気を起こしてはならないのです
”何事も喜んで耐えかつ忍び”と
上よりの力によって強くされ
神に感謝する者となっていきますように

「御子は、見えない神の形であって
すべての造られたものに先だって生まれたかたである
万物は、天にあるものも地にあるものも
見えるものも見えないものも
位も主権も
支配も権威も
みな御子にあって造られたからである
これらいっさいのものは御子によって造られ
御子のために造られたのである
彼は万物よりも先にあり
万物は彼にあって成り立っている」
(コロサイ人への手紙1章15-17節)

万物の創造主は唯一の神であり
その神が人の形をとって生まれてきた御子イエスは
唯一の神そのものです
今日、”神=イエス”との主張は受け入れられにくくなっていますが
わたしたちは人の論説に右往左往するのではなく
聖書がどのように述べているかを第一とすべきでしょう

人の考えはさまざまで
人の都合も色々あるでしょうが
まずは聖書にどう書いてあるかを調べて
それを信じていけば幸いです
それこそが神の御旨の道であり
その道を歩む者は実を結ぶことができるのです

何かを一生懸命議論したとて
そこに幸いの実が結ばなくては意味がありません
聖書は勉強することに意味があるのではなく
その言葉に従って
「主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ
あらゆる良いわざを行って実を結ぶ」
ことに意味があるわけです

ヨハネによる福音書2章の『カナの婚礼』において
イエスの命令に従って
それが何の意味があるかも知らず水を汲んだしもべたちは
その水が上等のぶどう酒になる奇跡を見ることができました
水を汲むという苦労は大変なことで
しかもその意味を知らないうちは従い辛いことですが
”従って労する”ことの幸いさは
後にこうして必ず明らかになるのでした

自分の欲のために祈る姿勢を
神の御旨が何であるかを知るために祈る姿勢に切り替え
そこから神の知恵が引き出されてわたしたちの生活に生かされ
やがて実を結ぶものとなっていくことができますように

明日はペンテコステ(聖霊降臨日)です
聖霊を受けることは
”神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力”を与えられることで
それによってわたしたちは
あらゆる苦難に打ち勝つことができるのです
人の力で
”何事も喜んで耐えかつ忍び”
というのは非常に難しいでしょう

その信仰は平安を生み
やがて大きな感謝となって
神にある者の幸いをいよいよ深く知るのでした
すべての人にこの幸いが与えられますよう
心から祈るものです。。




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