今週のみことば


6月10日

「兄弟たちよ
あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい
人間的には、知恵のある者が多くはなく
権力のある者も多くはなく
身分の高い者も多くはいない
それだのに神は
知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び
強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び
有力な者を無力にするために
この世で身分の低い者や軽んじられている者
すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである
それは、どんな人間でも
神のみまえに誇ることがないためである」
(コリント人への第一の手紙1章26-29節)


人の心の中には少なからぬ「誇り」があって
誇る心を持っていることから
人生を誤る方向へと進んでしまうわけですが
元々、神に選ばれた者とは
その人が人間的に立派であったり
社会的に立派であるからではなく
むしろ
この世にあってどうしようもない者であるからこそ
選んで頂いているわけです

この世にあっては無きがごとき存在である人でも
そこに神の働きがあれば
どんな知恵者よりも素晴らしい働きをなすことができ
それによって神が誉められることになり
神はそれを求めておられるわけです

この問題は何をしてもどうしようもないに違いない・・・と
人間的にはそう思えるような場合
世の中には「神が働く」という計算がありませんから
そこには希望ではなく絶望があるのみ
しかし
どうしようもない者にこそ力を与え
どうしようもない時にこそ働く神は
信じる者を捨ててはおかれません

「十字架の言葉は、滅び行く者には愚かであるが
救いにあずかるわたしたちには、神の力である」
(コリント人への第一の手紙1章18節)

神さま神さまと言ってそれが何になる?!
そういう言葉を聞くこともよくあります
確かに
信じない人にとっては
聖書のみことばはばかばかしく
架空の作り話のように思えるでしょう

また
聖書のみことばは
自分のことを偉いと思っている人を空しくするものですから
偉い人には受け入れ難いものです
そして
そういう人は
その人の持っている知識の範囲で神を計るので
心から信じることもできませんし
自らが神につまづいてしまうのです

「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は
みな、迫害を受ける
悪人と詐欺師とは
人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく
しかし、あなたは
自分が学んで確信しているところに
いつもとどまっていなさい
あなたはそれを誰から学んだか知っており
また、幼い時から聖書に親しみ
それが
キリスト・イエスに対する信仰によって救いに至る知恵を
あなたに与えうる書物であることを知っている
聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたものであって
人を教え、戒め、正しくし
義に導くのに有益である
それによって、神の人が
あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて
完全にととのえられた者になるのである」
(テモテへの第二の手紙3章12-17節)

昔も今も
神さまを信じて生きていこうとする人には迫害があり
信仰者は弱い人として
特に男性は女々しいなどとばかにされることもあるでしょう
しかし
実は神を信じてしっかり信仰に立っていく人こそ男らしいのです
なぜなら
多くの人は滅び行く世のものを頼りとし
お金があるから、自分は知恵があるから
といった土台の上に立っているので
その土台が揺らいだ時には
自らも一緒にひっくり返ってしまうわけです
そのような不安定なものに希望をおかず
神を信じて
堂々と大らかに生きる潔い生き方こそ
本当に強い人の生き方といえるでしょう

人間的にはどうしようもなく弱い人でも
神は誰よりも強い人に変えて下さいます
それは
人が誇るためではなく
神の栄光がそこに現れるためだからです

そのためにも
わたしたちは常に聖書に学び
”あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて
完全にととのえられた者になる”ことを目標に
黙々と信仰生活を送っていきましょう

「神の愚かさは人よりも賢く
神の弱さは人よりも強いからである」
(コリント人への第一の手紙1章25節)

信仰に立つ時には
どんなことが起きても大丈夫との平安があります
すべてのことは神によってなされている
たとえ今の状況が思わしくなくても
これからどのように事が展開していくのかを
希望を持って待っていきたいものです




<目次