今週のみことば
6月24日
「イエスは彼に向かって言われた
『きよめられたのは、十人ではなかったか
ほかの九人はどこにいるのか
神をほめたたえるために帰ってきたものは
この他国人のほかにはいないのか」
(ルカによる福音書17章17-18節)
イエスがエルサレムへ行く途中で
十人のらい病人が
『イエスさま、わたしたちをあわれんでください』
と声を張り上げていいました
イエスは彼らをご覧になり
『祭司たちのところに行って、からだを見せなさい』
と言われたので
彼らはその言葉に従って進みましたが
結局行く途中で全員らい病が癒されたのです
大喜びした十人でしたが
そのうちイエスの元へ感謝を告げに帰って来たのは
たった一人のサマリヤ人のみでした
彼はイエスから
『立って行きなさい
あなたの信仰があなたを救ったのだ』
と言われました
これからの人生をこの信仰に立って歩むように・・
日々の生活の中で
癒しや平安を与えられながら
わたしたちはまず神に感謝して
いよいよ信仰に立って歩むことが大切です
現実に神の奇跡を体験しながら
その喜びの余り神を忘れてしまう人も多いのですが
その喜びの後をどう生きるのか
それが一番重要なポイントです
人の幸せを聞いて
自分も幸せになる人もあれば
反対にねたむ人もあるでしょう
心の豊かな人は
人の幸いを見て感謝の言葉を出すものです
信仰に立って歩む人とは
このような心豊かな人になることを言います
「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら
この桑の木に『抜け出して海に植われ』と言ったとしても
その言葉どおりになるであろう」
(ルカによる福音書17章6節)
からし種は非常に小さな種ですが
育つと鳥が宿るほどの大きな木になると言います
小さな種でも
生きていれば大きく生長するように
小さな信仰であっても
それが生きた信仰であれば
芽が出て実を結ぶでしょう
信仰は見せかけのものではなく
心から求めるものです
救いには人種も性別も年齢も関係なし
使徒行伝8章において
エチオピア女王の宦官は
ピリポから聖書のみことばを解き明かされ
水のあるところまできてすぐにバプテスマを受けました
彼はその後喜びながら旅を続けたとあります
わたしたちも
救われ、神にある幸いを体験した後は
喜んで信仰に立った人生の旅を続けていくべきです
人の口からは色々な言葉が出るものですが
願わくば神に対する感謝の言葉が出てきますように
思うように行かないことは多々あるでしょう
それもまた神のご計画のうちにあってなされること
このことが将来どのようになるのかを
わたしたちは祈って見守る信仰を身につけたいものです
「兄弟たちよ
わたしはすでに捕らえたとは思っていない
ただ、この一事を務めている
すなわち、後ろのものを忘れ
前のものに向かってからだを伸ばしつつ
目標を目指して走り
キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと
務めているのである」
(ピリピ人への手紙3章13-14節)
信仰というものを完全に捕らえて
自分のものとするのは難しいです
それでも、何とかして神に近づき
平安のうちに人生を過ごさせていただきたい
そして
天国に入るにふさわしい者として整えられるよう
日々神を求め
前を向いて生きようとするわけです
『祭司たちのところに行って、からだを見せなさい』
その言葉に素直に従って歩み始めた彼らのように
難しいことを何も考えず疑わず
何気なくでも教会へ行く時
そこに神さまは働いてくださいます
”時”はすべて神の御旨のままであり
いつその人に何がなされるかは
すべて神がご存知です
どのような時も希望を持って神に祈り求め
平安と感謝を与えられ
心豊かな人として育てられていきますように。。
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